崩壊

なんでこうもトラブル続き?

昨晩のことである。

瓦礫の崩れるような激しい音が、宿の敷地内から聞こえた。
あまりにも激しい音だったので、何者かが車で敷地内の壁を突き破って侵入してきたのかと、ベッドの中で震え上がったほどである。

部屋から出て外の様子を伺おうかとも思ったのだが、車で壁をぶち抜くほどの「大胆かつ雑で頭の悪そうなドロボー」などにつかまってしまったら、発見されたら最後、ぼかんと一発であの世に送られそうだったので、しばらくベッドの中で身を潜めておとなしく時が経つのを待ってみた。

しばらくしてもそれ以上不気味なことが起きそうになかったので、私はトイレに行くことにした。時計を見ると、深夜2時20分をわずかに過ぎた頃だった。

この時は気づかなかったのだが、不吉な兆候はその直後に表れていた。

トイレの水が流れないのである。

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棟梁、貫く

そろそろ「晴れ女」と自称してもいいのではないかと錯覚するほど、私がバリ島の、とくに降水量の多いウヴドにやって来てからというもの、珍しく手短に降った、たった一度の雨のみで、快晴の続く毎日である。

私がバリ島に降り立つ前日までは、毎日毎日うんざりするほどの雨が続いたという。
中には、朝昼晩と、一日くどいくらいに降り続く日もあり、「ここ数年は本当に天候がおかしくて、乾季だというのに雨が多い」と現地の人が嘆くほど、一週間欠かさず毎日雨が降るという日も珍しくはなかった。

だから私もそれを覚悟してバリ島へやって来るのだが、この5日間、奇跡的に良い天候(日差しが熱過ぎるが…)が続いていて、外出の多い仕事をしている身には大変助かっている。

さて昨日。

雨漏り箇所の傷んでカビがひどかった天井板を交換するためだけに、これまで最高人数であるトリオで作業にあたった大工の棟梁だが、その作業の際に点灯しなくなってしまった店内のライトを直しにやってきた。

自分たちの不始末に対してきっちり責任を果たすというのは、大抵どこの世界でも「まぁ、どっちかっつぅーと当然のことかなぁ」ということなのだが、ここではそんなこと期待できないよなぁと半ば諦めていたので、棟梁がお店にやって来たときには大歓迎してしまったほどだ。

そう。たとえそれが、昨日の作業の中で、一番なんの役にも立っていなかった棟梁ただ一人の来店だったとしても・・・・・・。

昨日なにかといえば「できねぇ〜なぁ」「わっかんねぇ〜なぁ」「どうしちまったのかなぁ〜」というようなことばかり口走っていた棟梁だったので、「あ〜、やっぱりあの照明は今日も点かないんだろうなぁ」と思ってたら、期待通り、ほんの5分ほど照明をいじった棟梁の口からは「電気のことはわかりません」そもそも俺、大工だし、無理だから、みたいな感じでさじを投げられた。

何度も言うが、これが数ヶ月前までの私だったなら、間違いなくそのまま黙って大工を帰宅させるようなことはしなかったであろう。

相手に何も響いてないことは承知のうえで、日本の業者になら通用しそうな正論を捲くし立てていたに違いない。

しかしこのたびの私は「この一点」に限っては別人である。

「しょうがないなぁ〜。でも電気の配線がわかる人は紹介してよ」と念を押し、「まだお昼食べてないんだよねぇ」「私だってまだ食べてないんだよ!!」と、最後まで気合の入らない会話を交わし、結局、昨日も今日も「で、結局なにしに来たの?」に終始した棟梁の後姿を見送ったのであった。一貫してるねぇ。

雨漏り修復!! 第何弾?

新築当初から立派な雨漏りだった当店手前のフロアは、もちろん雨の日は今もって、しとしとぴちょぴちょぼとぼとと、招かれざる雨粒を積極的に招き入れている。

これまで何度も「大工さん」と思われる人たちにお願いして、この根性のある雨漏りを修復してもらってきたのだが、残念ながらこの雨漏りにストップをかけられた大工さん(本物)は現れないまま、今に至っている。もう誰にも、この暴走は止められないようである。

前回のバリ島から数ヶ月ぶりに見上げる天井は、板が歪み、さらにはカビのデコレーションまで加わってしまい、見るも無残である。

お店のスタッフの知っている大工さんは、ここのところ数ヶ月間にも及ぶセレモニーの準備のために忙しく、本業の大工仕事などしていられないという。相変わらずすごい話である。本業そっちのけだからね。

現地の人に「あてがない」のでは、たまに来る程度のよそ者の私になんか、大工の知り合いなんて見当もつかない。

「どうしよっかなぁ〜」と思っていたら、宿に出入りしてる「職業・大工」とおぼしきオッサンと遭遇し、「これは神さまが与えてくださったチャンスに違いない!!」と思い込むことにし、評判だの腕前だのまったくもって事前情報がないまま、私はこの大工さん(たぶん)に、お店の雨漏り修繕作業を依頼することにした。

たまたまその場に居合わせたお店のスタッフに、一通りお店の状況を説明してもらうと、大工さん(以下、棟梁と表記)はフンフン軽く頷いて、その場で快く「オッケー」と依頼を承諾してくれた。

しかし「オッケー」と言ったものの、具体的な日時だの、自分の連絡先だの、こちらの連絡先だのを聞く姿勢を見せないので、「あぁ、この人も口先だけかなぁ」などと思っていたら、その日の午後にはお店の雨漏り状況を確認すべく現場に足を運び、「明日には作業に入れる」と、これまでになくトントン拍子な運びとなり、その熱意に「この人はやる人かもしれない」と、大いに期待してしまったのであった。

そして作業当日。

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スイッチが入らない

見るからにヤバイと思っていたら、レンタルしてわずか4日目で、完全にエンジンがかからなくなった。

現地のバリニーズでさえ「ずいぶん古いバイク乗ってるね」と、なんの躊躇もなしにズバリ突っ込んでくれるような見てくれと遜色なく、中身もオンボロだった。

それでもまだ、エンジンが停止したのが昼間の店先だったから良かったものの、これがいつかのように、ウブドの中心から程遠い場所であるばかりかあまり人通りのない夜道であったりしたら、本当に悲惨である。

しかも大抵、ガソリンを満タンに入れたすぐ後にこういったトラブルが発生し、代わりに運び込まれるバイクには、ほとんどガソリンが入っていない状態で交換させられるというパターンなのである。

私はいつものごとく、バイクのオーナーにすぐさま電話を入れた。

今はとても忙しいから夕方じゃないと対処できないと言われる。しかも5時。あと四時間以上もあるんですけど…。オーダーしに行くにはバイクが必要な距離。仕事ができない。お昼も食べてなくてお腹すいてる。

春先までの私なら、この時点で間違いなくブチ切れて「こっちだって忙しいんだよ!! 家族の誰でもいいから対処させろ!!」と要求したことだろう。

とくに今回はエンジンがかからなくなることがちょくちょくあり、私は事前にその状況をオーナーに報告して「大事になる前に一度チェックしに来て」とお願いしていた矢先でのことだったのである。

そのときですら、このオーナーは「忙しいからパパ(御自分の)に電話してみて。番号はこれだから」と、携帯にメッセージを送って終了といった怠慢っぷり。

しかし私は、「5時じゃ遅いからもっと早くに対応して」と話している最中に相手側の電話が切れた(切られた?)瞬間に、今までムキになってきたものを諦めたのだった。

もういいや。

オーダー諦める。
お昼は行きつけじゃなくて徒歩圏内で探す。


その夜今度は、宿のシャワーでお湯が出ず。
8月のウブドは朝晩ヒヤリと肌寒い。
現地の人ですら夜のシャワーはきつくて嫌だと話すほど。

昼間、けっこう汗かいたんだよね……。
すでに夜の10時だろうがお構いなしに「プロパンガスを変えてくれ」って、スタッフに頼むか−−−。

でも、もういいや。

シャワー、足と腕だけにして諦める。
明日の朝話すことにして、今日はもう寝る。
おやすみなさぁ〜い……。

一体どうしてしまったのか?

無気力傾向にあるのか? 
抵抗力が落ちているのか?
受け入れ、流れる方針で行くのか?

どこへ行く? わたし・・・・・・。

バリ島ロスメンの「今どき」料金事情

私のように、ごくごく限られた予算内で少しでも長くバリ島に滞在したいという自由旅行者には、この時期のバリ島への渡航はあまりお勧めできない。

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疑心暗鬼

自分の不注意とはいえ、ツイテナイことが続き、少しハードなフライトスケジュールをこなし、ようやくバリ島に到着した頃には「私、もうすでに大仕事を果たしてクタクタです。一刻も早く宿の部屋で休みたいです。望みはそれだけです」

なのに。

それなのに。

空港出口、お願いしていたタクシーの運転手が見つからない。

友達のパパに出迎えをお願いしていたのに、到着予定時間を40分も過ぎているというのに、その他大勢の現地のお出迎えの人並みの中を、何度も何度も往復して歩き、私の存在をアピールしているというのに、声を掛けてくるのは見知らぬフリーのドライバーばかり。

完全になめられた客である。

お出迎えのことを忘れているのか、日時や時間を間違っているのか、はたまた渋滞に巻き込まれているのか(空港出迎えのドライバーというのは、だいたいそういうことも見越して到着時間前に余裕をもって到着しているものであるが)、もしくは、あっては欲しくないがこちらが検討もつかない場所で待ち続けているか−−−。

電話を掛けようと、総重量35Kgの荷物をなかば引きずるようにして移動する。

日本でいうところの公衆電話(有人)にあたるワルテルを発見し、携帯電話に掛けると一分幾らかかるのか店員に事前確認をする。緊急事態だというのに、その辺が抜け目ないところが自分の気の毒なところである。

すると店の店員は「Rp6000」だと言ってのけたので、私は数秒の間言葉を失い「マハール(高い)」とだけ言い残し、その場を立ち去ったのであった。
このときの私に「お気楽な買い物してるわけじゃないんだから、状況を考えて判断しなさいよ」と、肩を叩いてやりたい思いで胸が詰まる。

私は総重量35Kgものネギを背負ったカモなので、空港内を頼りなげに彷徨っていると、実にさまざまなタクシードライバーからお声が掛かるのである。

たいてい無視をきめこんでいるとあちらも諦めてくれるのだが、一人だけ、コイン使用の無人公衆電話までついてきたドライバーがいた。

私がインドネシアコインを探し始めると「これは今壊れていて使えない。電話を掛けたいんだな?相手の番号はわかっているのか?だったら俺が掛けてやる」と言って、自分の携帯電話を取り出し、私の手帳に羅列してある数多くの電話番号を覗き込み、そのうちのいづれかを適当に押し始めたのである。

一体この中の誰に電話を掛けようとしているのか、大変興味深いところだが、私はその手を制して「ちなみにこれ、一分掛けたら幾ら取るつもり?」と尋ねると、「Up to You」と、一番曖昧でいて最も危険な言葉を発するではないか。

「Up to You」という奴に限って、こちらの好きにはさせてくれないものである。

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No Music No Life

「二度あることは三度ある」
あってはならない三度があった。

一度目の忘れ物は携帯電話。
二度目の忘れ物はスーツケースの鍵。

どちらも、成田空港に向かう車内で気が付くことができたものの(しかも人様の指摘による)、「こんな忘れ物ばっかりしてて大丈夫かぁ? 三度目もあったりしてな」などという、これまた「所詮は人事的」な人様による嫌な冗談に該当してしまった忘れ物があった。

その三度目の忘れ物とは、ぶっちゃけてしまうと私的には「スーツケースの鍵」よりも大事なものであり、旅先でスーツケースの鍵をぶっ壊す羽目になったとしても、これだけはぶっ壊れて欲しくないものであり、お守りよりも「肌身離さず身につけているもの」である。

あぁ、私の愛しいMP3……。

今まで一度だってお留守番なんてさせたことなかったのに、ごめんよ。
機内の中で気が付いたときには、あまりの絶望感に「おうちに帰りたい」と、涙ぐんでしまったよ。

乗客が続々と機内に乗り込んでいる最中だというのに、ひょっとしたら「今ならまだ、取りに戻るチャンスがあるかも」なんて、「小学生の忘れ物じゃねーんだぞ」っていうまっとうな突っ込みすら耳に入らないほど、本気でバカなことを思ってしまうくらい君に夢中だっていうのに・・・・・・。

これほどの精神的な打撃を受けているというのに、この日はバンコクに到着後、翌早朝のバリ島へのフライト待ちのために、「深夜の空港で5時間ほどの時間潰し」という出来れば避けたい「忍耐・根気・辛抱」が試されるイベントが控えており、気の重さは倍増である。

MP3を所持していないというだけで、私の心は深い孤独の闇に落ち、バンコクのだだっぴろい静まり返った深夜の空港内を歩いていると、そこに「感傷的」な気分も加わって、余計にロンリーな気持ちに陥るのであった。

しかしどうだろう。

「どうにもならないことは思い悩まずきっぱり諦める」もしくは「さっぱり忘れる」または「すべてをなかったことにする」という信条の元、「人生の困難」もしくは「自身の都合の悪いこと」を、適度にごまかしながら生きてきた人間である。

どうだろう。
今回も同じ手で乗り切ってみるというのは・・・・・・。

そう。
私はMP3を忘れるようなドジはしていない。

その証拠にこうして音楽は流れている。
このように、私の口からピュウピュウと、脳内に隙間風のように入り込んでくる厄介なハミングは、MP3のイヤホンからうっかり漏れ出てしまった音のようであり、時折まったく歌詞が出てこずに音がつまづくその瞬間は、外部からの衝撃で音がとんでしまった「がっかり」な瞬間のようである。

思い込め。
思い込むんだ、私のロンリーハート

誤魔化されろ。
誤魔化されるんだ、私のロンリーハート

しかしこのような「ありえな過ぎ」の強引な思い込みは、睡魔という強力な助っ人をもってしても自分をごまかし切ることはできず、逆に、自分の愚かさと諦めの悪さに失望をもたらすだけなのであった。

このように、無駄でばかげた想像をしていると、「今この瞬間、これほどのヒマを持て余しているのは世界中で自分だけ」などといった、わびしく、そして寂しい気持ちがよみがえり、私はなんてダメ人間なんだぁ〜!!なんであのときフライトをキャンセルしてまでもMP3を取りに戻らなかったんだぁ〜!!という、家族ですら白い目で見てしまいそうなロクデモナイことを口に出してしまいそうになる。

しかしどうだろう。(本日二度目)

この静寂の中、あたりを見回してみると、少なくとも「ヒマを持て余している人間」は他にもいるではないか。


彼らは何かを諦めているかのように、もしくは悟ったかのように、何事にも抵抗する様子を見せず、イスに横たわる者、地べたに身をゆだねる者、飲み過ぎて駅のホームで潰れているサラリーマンのように頭をうな垂れて座り込む者などなど、「孤独」だの「寂しい」だの「No Music」だの、そんなものとは無縁の世界にいる。

私が今求めているのは、あるべき姿は、まさにこれなのではないか?!!!!

そりゃそうだな。
もう、なんだかんだで深夜一時を過ぎてるよ。

ということで、ジタバタせずに空港での一夜を静かに過ごすとする。