No Music No Life

「二度あることは三度ある」
あってはならない三度があった。

一度目の忘れ物は携帯電話。
二度目の忘れ物はスーツケースの鍵。

どちらも、成田空港に向かう車内で気が付くことができたものの(しかも人様の指摘による)、「こんな忘れ物ばっかりしてて大丈夫かぁ? 三度目もあったりしてな」などという、これまた「所詮は人事的」な人様による嫌な冗談に該当してしまった忘れ物があった。

その三度目の忘れ物とは、ぶっちゃけてしまうと私的には「スーツケースの鍵」よりも大事なものであり、旅先でスーツケースの鍵をぶっ壊す羽目になったとしても、これだけはぶっ壊れて欲しくないものであり、お守りよりも「肌身離さず身につけているもの」である。

あぁ、私の愛しいMP3……。

今まで一度だってお留守番なんてさせたことなかったのに、ごめんよ。
機内の中で気が付いたときには、あまりの絶望感に「おうちに帰りたい」と、涙ぐんでしまったよ。

乗客が続々と機内に乗り込んでいる最中だというのに、ひょっとしたら「今ならまだ、取りに戻るチャンスがあるかも」なんて、「小学生の忘れ物じゃねーんだぞ」っていうまっとうな突っ込みすら耳に入らないほど、本気でバカなことを思ってしまうくらい君に夢中だっていうのに・・・・・・。

これほどの精神的な打撃を受けているというのに、この日はバンコクに到着後、翌早朝のバリ島へのフライト待ちのために、「深夜の空港で5時間ほどの時間潰し」という出来れば避けたい「忍耐・根気・辛抱」が試されるイベントが控えており、気の重さは倍増である。

MP3を所持していないというだけで、私の心は深い孤独の闇に落ち、バンコクのだだっぴろい静まり返った深夜の空港内を歩いていると、そこに「感傷的」な気分も加わって、余計にロンリーな気持ちに陥るのであった。

しかしどうだろう。

「どうにもならないことは思い悩まずきっぱり諦める」もしくは「さっぱり忘れる」または「すべてをなかったことにする」という信条の元、「人生の困難」もしくは「自身の都合の悪いこと」を、適度にごまかしながら生きてきた人間である。

どうだろう。
今回も同じ手で乗り切ってみるというのは・・・・・・。

そう。
私はMP3を忘れるようなドジはしていない。

その証拠にこうして音楽は流れている。
このように、私の口からピュウピュウと、脳内に隙間風のように入り込んでくる厄介なハミングは、MP3のイヤホンからうっかり漏れ出てしまった音のようであり、時折まったく歌詞が出てこずに音がつまづくその瞬間は、外部からの衝撃で音がとんでしまった「がっかり」な瞬間のようである。

思い込め。
思い込むんだ、私のロンリーハート

誤魔化されろ。
誤魔化されるんだ、私のロンリーハート

しかしこのような「ありえな過ぎ」の強引な思い込みは、睡魔という強力な助っ人をもってしても自分をごまかし切ることはできず、逆に、自分の愚かさと諦めの悪さに失望をもたらすだけなのであった。

このように、無駄でばかげた想像をしていると、「今この瞬間、これほどのヒマを持て余しているのは世界中で自分だけ」などといった、わびしく、そして寂しい気持ちがよみがえり、私はなんてダメ人間なんだぁ〜!!なんであのときフライトをキャンセルしてまでもMP3を取りに戻らなかったんだぁ〜!!という、家族ですら白い目で見てしまいそうなロクデモナイことを口に出してしまいそうになる。

しかしどうだろう。(本日二度目)

この静寂の中、あたりを見回してみると、少なくとも「ヒマを持て余している人間」は他にもいるではないか。


彼らは何かを諦めているかのように、もしくは悟ったかのように、何事にも抵抗する様子を見せず、イスに横たわる者、地べたに身をゆだねる者、飲み過ぎて駅のホームで潰れているサラリーマンのように頭をうな垂れて座り込む者などなど、「孤独」だの「寂しい」だの「No Music」だの、そんなものとは無縁の世界にいる。

私が今求めているのは、あるべき姿は、まさにこれなのではないか?!!!!

そりゃそうだな。
もう、なんだかんだで深夜一時を過ぎてるよ。

ということで、ジタバタせずに空港での一夜を静かに過ごすとする。