適正価格

「ちょっと血液検査で血を抜きに行ってくるから店番してて」と頼まれた。

この時間帯ずっとお客さんも入らないでヒマだから大丈夫って言葉を付け加えて、人通りの多いタメルのメインストリートに店を構える店主は、こっちの返事も待たずに店を出て行った。

確かにこの30分、購入にいたるどころか服を物色するようなお客さんさえ入っていないが、英語もネパール語も話せないうえに、価格さえ把握してないから電卓でやり取りさえ不可能な役立たずだけが取り残されたときに限って、お客さんというのは不思議に店に引き寄せられてくるものなのである。

そんなことをうだうだ思っていると、店主が「5分で戻る」と偽りの投げかけを残した3分後に、二人組みの女性が入店した。

何語で話をしているのかさえわからない。

自慢じゃないが、私はイスラエル語とフランス語の区別さえできない人間なのである。以前それで、イスラエル人をあまり快く思っていないネパリーの友達から大ヒンシュクをかったことがある。

そんなことはさておき。

女性二人組みの内の一人が、店頭にディスプレイされていたスカートをいたく気に入ったらしく、手に取って熱心にそれを見ていた。

その商品なら心得ている。

素材が何かも、そして肝心の価格も・・・。

なんならディスカウントの交渉さえも受けて立とう。幾らまで下げていいもんか知らないが、強引に店番を押し付けた店主に非がある。店側に損をさせてしまったとしても、店主はこの一件で二度と私には店番をさせないという、私側には利点しか残らない。

よし。来るなら来い!!!!!

お客が一歩、また一歩と、店内奥へと歩み進む。

必要以上に身構える私。

セブンハンドレッド

英単語の準備も万全だ。

「ハァウ マァ〜チッ?」

商品を片手に、女性が私に微笑む。

「セ・・・」と声に出そうとしたそのとき、女性の背後からお昼の休憩から戻ったこのお店の正社員が入って来た。まぁ、私はアルバイトですらないわけだけど・・・。

そして「セブンハンドレッド。マダァ〜ム」と、完全に私のセリフを横取りしたのである。

チッ。

この時ばかりは軽く舌打ちしたい気分であった。今までの緊迫感が一気に台無しである。

「セブンハンドレェ〜〜〜(ド)?!」と、女性は大袈裟に驚いて見せ、「200でしょ?」と、日本円に換算して250円にも満たない金額を提示して、私をさらに仰天させた。

あ〜、店主が不在でよかった・・・。

正式な店員である男性は、あくまでも物腰柔らかに「そんな価格じゃどこのお店でも販売しないよ」と言うと、ツワモノのお客は、「じゃ、250」と、何の足しにもならないような50を足してきたので、すかさず店員は「マダム。それじゃお店にプラスどころかマイナスですよ」「だったら他のお店で聞いてくるわ」「あー、どうぞ、どうぞ。そうしてください」。

そんな調子で平穏に会話は終了したのだが、5分どころか30分以上経過してからノコノコお店に戻ってきた店主に、このやり取りを「笑い話」として話したのだが、お客さんに対して「どちらかというと挑発的であるがために接客に非常に不向き」なこの店主は一気に表情を曇らせ、冗談ではなく真剣な顔つきで私に向かってこう言った。

で、おまえ、そのとき「Fu●k You!!」くらい、言ってやったんだろうなぁ。

脅しにも取れる迫力ある顔を近づけてきてこう言うので、「そ、そんな、わたくしごときが、お客様に対してそのような言葉を言えるわけがないじゃないですか・・・」と、なぜか何の非もない私がおどおどするはめになってしまった。

まぁ、この店主の発言も「半分」は冗談なのだが、同じように店を経営している側からしてみたら、その気持を理解できないわけではないのである。

苦労して仕入れたり、時間や手間をかけて製作したものに対して、素材の価格にさえならないような価格を、平気で提示してくるわけだからねぇ。

そうはいっても、お客さんからしてみたら、素材の価格だの手間暇だの、それを考慮した適切な料金などわからないのが普通であり、そんなこといちいち念頭に置いて買物をすることはあまりない。「己の価値観のみが購入判断基準」少なくとも私は。

そのようなことは問題ではなく、タチが悪いのは「ネパールのような発展途上国なのだから、なんでもかんでも安くて当然」という、物の価値観もなんもあったもんじゃない、それこそ貧相極まりない考え方で、乱暴な価格を提示してくるお客なのである。

そういう「残念なツーリスト」というのは、ネパールだけに限らず、バリ島にも他の国にも、いたるところに存在しているわけなんだけど。

店側に気を使って買物をする必要などなく、自分の納得する価格で購入することが一番だが、「物の流れ」というものは、単純に金銭だけが介入して生まれているのではないということに気づいて欲しいと、生意気にもそう思う瞬間が、ときにある。