ベテランスタッフの卒業

滞在先の決め手となる要因のうちのひとつとして「スタッフの人柄と仕事の出来具合」というのがある。

スタッフの人柄というのは、生まれもっての性質上のことであったり、各ゲストとの相性だったりするので、なんとも一概には言えないのだが、「仕事の出来具合」というのは、もともとその人が持ち合わせている基本的な能力もさることながら、ここはやはり、ボスの教育というものが大きく反映されているから面白い。

宿を取り仕切るボスがきちんとした気配りのできる人だと、そこに仕えるスタッフも、ゲストが気持ちよく滞在できるようにと、たいていの配慮ができるようになっているし、それは人に限ったことだけではなく、部屋の掃除や庭の手入れ状況などにも顕著に現れるものである。

それはそうと、ここの宿とのお付き合いも三年ほどになるのだが、その当初からスタッフとして働いていた女性スタッフが、いよいよここでの仕事を辞めるのだと打ち明けた。

バリ島の人たちは基本的に転職が早いので、宿のスタッフも例外なく「出入り」が激しい。ところがこのスタッフは、小さい頃からこの宿で奉公していたらしいので、まだ20代の半ばにもならないが、すでにその職歴は相当な長さになる。

そのため「もういい加減辞めたい。ボスも口うるさくて好きじゃない」と、去年から言い出してはいたのだが、実際にボスへ「辞める」と伝えたところ、逆にものすごい勢いで説教付きの却下が下されて、思わず泣いてしまったと、苦笑いしながら話してくれた。

そのとき私は心の中で「ここから抜け出すには結婚でもしない限り無理だろうなぁ」とは思っていたのだが、なんとメデタイことに「結婚退職」で仕事を辞めるのだという。結婚するという喜びと、ようやく仕事を辞められるという嬉しさとで、スタッフも満面の笑顔で私に報告をしてくれた。

だがしかし。

結婚も退職も「本当におめでとう!!」なのだが、身勝手な話ではあるが、私がこの宿に滞在中は「できればここにいて欲しい」というのが本音であった。

寂しいという気持ちと、頼れるスタッフの不在という心細さ・・・・・・。新人スタッフはいるのだが、それはまだ、学生上がり(しかも高校生)のようなあどけない顔立ちの若者であり、さらには「バリ人の彼氏はいるの?」「どうしてバリ人の彼氏を作らないの?」だのと、こちらの名前を訊ねるより先に発した「初対面の人への言葉」がこれでは、いろいろと先が思いやられる感は否めない。

明るい未来への旅立ちを控えている彼女に、そんな情けない不安を口にしてはいけない。ここはひとつ、立派な大人として彼女を送り出さなければいけないだろうと心に決め、「カデがいなくなるなんて寂しいなぁ。それに、もしここで問題が起こったら(というか問題はしょっちゅう起こってるんだけど)私は一体どうしたらいいのぉ〜」と、残念ながら途中で大人になることを放棄し、本音の一部をさらけ出すと、「何かあったら私の彼氏に電話して」と、まったく面識のない人の電話番号を渡される。あの、そっちの、カデが持ってる携帯電話の番号を教えてもらった方が気持ち的にも楽なんですけど・・・・・・。

そうして私は渋々彼女を送り出し、「あぁ、新人さん達だけで大丈夫なのだろうか・・・」と(しかも一日常駐ではなくなるらしい)、不安と心配で胸がいっぱいになるのであった。

ところがどうだろう?

テキトーに干した洗濯物をきちんと干し直しておいてくれたり、使い切ったティッシュやトイレットペーパーなどをきちんと補充しておいてくれたりなど、今まで一度もカデが出来なかったことを、新人さん達はしっかりやってのけてくれたのである。大感激。

カデさん、基本中の基本である「トイレットペーパーの補充」でさえも出来なくて、どんなに目立つところにトイレットペーパーの芯を置いていても、それさえ捨てずに放置してあったりと、かなりな大雑把っぷりだったのだが、たまにそのことを指摘したりすると、抜群の笑顔で「わたしはわすれんぼー」と言って舌を出して見せるのだった。

私はそんなカデが好きだった。

辛いことやしんどいことがあると、口を尖らせて愚痴を漏らしたりもする彼女だが、その後すぐに、はじけるような笑顔を見せてくれるカデが忘れてしまう仕事など、大したことではないと思えた。「わすれんぼー」と、笑って済ませられることばかりだと、そう感じることができた。

笑顔と大きな声で「いってらっしゃーい」と送り出してくれる彼女がいないのだと思うと、ここでの景色が少し、静かになったように感じる。

ついつい感傷的になってしまう私だが、旦那さまになる彼氏と一緒に、仲良く実家に帰る姿を見て、彼女が笑顔でここを卒業できたことが一番なのだと、あのカデスマイルに気付かされたのであった。