トンボの憂鬱

トンボがまるで絵の一部のようにキャンパスで羽を休ませていたので、「ほら、見て」と、すぐ側にいた、私の小さな可愛いお友達に、それを指差してみた。

すると私の小さな可愛いお友達は、瞳をきらんきらんに輝かせて「ほんとだぁ」と言うのと同時に、そのトンボを絵の世界から引き離した。

しまった。

と、その瞬間私は察した。

私は、この後起こるであろうトンボの惨劇を予測し、お友達の行為に先回りをしてこう言った。

「いい? 羽をむしったりしちゃダメだからね」
「わかってる。ポットンするのは首の方でしょ?」
(ポットンとは“切る”という意味である)

悪意のない、まっさらな笑顔で間違った即答をしたので、私はすかさず「クビもダメっ!!」と、強く釘を刺した。

小さなお友達は「わかった」と神妙な面持ちで頷いたので、私はひとまずホッと一安心して子供から目を離し、近くにいた別の友達との会話に熱中した。

すると三分も経たないうちに、小さなお友達が「見て、見てぇ〜」とはしゃぎながら、大人の会話に割って入っきた。
その顔は「ちょっとこれどうよ? オシャレでしょ?」と、自慢げである。

賢明な皆さんなら、もうおわかりであろう。

お友達、四枚の羽を半分ずつ切り離し、トンボを生きたブローチに仕立て上げてしまったのである。

やっちゃったね。

子供によるこのようなトンボへの虐待ってのは、インドネシアも日本も変わらないんだなぁ。私にも記憶があるもん。さすがにクビは気持ち悪くて取ったりできなかったけどね。それにしても、なんでトンボってそんな目に遭わされてしまうのだろう?不思議である。