ギラ
「Crazy」
まったく初対面の、3メートルの高さからバトミントンの羽を路上に打ちつけてぎゃあぎゃあ騒いでいるような子供から、そのようなジェスチャーを送られた。
「おらっ! モタモタ運転してるヤローは脇に寄れや」とクラクションを鳴らされた程度で傷ついてしまうようなナイーブな私に向けて、トートツに「ギラ!(狂ってる)」である。
「●ソガキ」
すかさずそのように応戦した、一見大人気ない私を誰が責められたであろうか。
不適切(と思われる)な言葉にしっかりやり返した私だが、その辺にいる「顔見知り程度」のバリニーズですらも片っ端から捕まえて「私ってギラ?! ギラなのっ?!」と、問いただしたい衝動に駆られた。
見ず知らずの子供が「ギラ」だというのだから、私のことを知っている人間など、どれほどの割合で「ギラである」と勘違いしているであろうかと考えるとソワソワしてしまって仕方ない。
たぶん、大多数の人間がそう思っている。
小心者の私は、私の被害妄想を「そんなことないよ」の一言で払拭してくれそうな心優しい友人を、ひとり厳選して訊ねた。いやね、たまたま身近にいたってだけなんすけど。
「さっきね、子供に“ギラ”って言われたんだけど、私ってギラ?」
おそらく本物のギラはそんなマヌケなことを人に訊ねたりしないであろう。
すると友人は、下を向いて押し黙ったまま否定もフォローもせずに、ただ一言「最近のガキ共は−−−」と、後に続かない言葉を発して力尽きてしまった。
丁寧な日本語を話す友人が、「ガキども」という言葉を使ったことに驚き、爆笑してしまった私は、自分がこの友人に「その通りである(ギラである)」と、半分認定されたも同然のことなど、すっかりどうでもよくなっていた。
「“ガキども”なんて言葉どこで教わったの?」と、面白がって訊ねる私に、真面目で心優しい友人は自分の知っている日本語を一生懸命並べて「最近のガキどもは意味もなくそーいうことをするのが好きなだけ」と、真意はどうあれ、思いやりのある言葉を繋げてくれた。
その横で、その言葉をさえぎるようにして「どこで習ったのっ? 誰が教えたのっ?」と食いついた私は、確かにあの子供が言ったように、ギラであるのかもしれない。