飲んだら、乗るな

交通事故の話である。

事故の要因はさまざまであるが、そのひとつに「飲酒運転」がある。
愚かなことながら、このことが引き起こす事故というのは「非常にポピュラーなこと」として世間に認識されている。

ここバリ島でも、飲酒運転による事故は驚くほど多く、非常に身近な人から「この間バイクで事故っちゃってさぁ。お酒飲んだ後だったから頭がぐるぐる回ってたんだよねぇ。あはは」といった呆れた話を日常茶飯事のように聞く。

その度に眉をひそめて「そんな危ない状態で運転しちゃダメだよ」と注意するのだが、残念ながら、その後も、二度、三度と同じ過ちを繰り返す人間が少なくないのが現状である。
この日、ほんの数週間前に結婚したという知り合いを、お祝いを持参ついでに「久々に世間話でも」と軽い気持ちで訪問したのだが、そこで「結婚の決め手」となったというバイク事故の話となった。

彼は高校生時代から実に12年近くも付き合っていた彼女といよいよ結婚に至ったわけだが、バイク事故を起こして数ヶ月間に及ぶ心細い入院生活の間に、その決断は成されたのだという。

この辺の心境は大いにわかりやすく、ありがちな感じであるが、微笑ましく「そっかぁ。事故は大変だったけど、支えてくれる人が側にいてくれて良かったねぇ」ウンウンと、頷きながら聞き、「で、もう体の方は万全なんでしょ?」と訊ねると、「まだ。右足がちょっと痛い」と答え、そして、次に続く彼の言葉に、私は唖然とすることになった。

「それから、こっちの目がほとんど見えない」
そう言って、ウインクするように右目をつぶってみせた。

ものすごい衝撃だった。
ショックのあまり数秒間、言葉を発することが出来なかった。

目が見えない?

私から見ると、目のあたりや眼球になど損傷があるようには見えなかった。

ようやく「見えないって? まったく見えないの?」という言葉が出て、「そんな風には見えないよ」と、戸惑いの言葉が続いた。

「1メートルくらい先ならボンヤリ見ることができるけど、それ以上になるとまったくダメ」「そ、それって、視力が落ちたとかの問題じゃないんだ?」「違う。神経がやられてるだろうから治療はできないって医者に言われた。ジャカルタの病院まで行って、診てもらったんだけどね・・・」

「ちょっと! 本当になにやってんのよ!! 気をつけてよ!!! どうせまた飲酒運転でもしたんでしょっ!!!」
同情云々というより、すでに怒りの境地に入ってしまった私は、半ば詰問口調になっていた。

「違うよ。雨が降ってたんだよ」
「そうだとしても、だったら余計に注意して運転しなきゃいけないでしょ?!」
「まぁ、そうだね。お酒飲んだ後だったからさぁ、ちょっと頭がボンヤリしちゃって。アハハハ」
「・・・・・・」

雨で路上がスリップしやすい状況に加え、やはり、酒をたっぷり飲んだ状態での惨事だった。

今となっては「いやぁー、やっちゃったよねぇ」みたいに笑って話せるんだろうけど、それはあまりにもアッケラカンとした言葉と表情であったので、その逞しさに安堵する反面、だからこそ「再度事故を引き起こす可能性」も大いにあるとそう感じ、私は複雑な面持ちでいた。

すると彼は「でさぁ、クリニックまで運んでくれたのが旅行代理店の●●●に勤めてる人だったんだよねぇ」と言って、私を笑わせた。
というのも、彼もその旅行会社同様に、日系の大手旅行代理店に勤務している人間だからである。
競合他社の人間に助けられたとは、いい話というか、ちょっと笑える話である。
とはいっても、命あってのことだから、こうして呑気に笑えるわけだけど。

しかし、である。
話はこれでは終わらなかった。

「病院のベッドで目が覚めたらさ、腕時計が無くなってるのに気がついたんだよね。サイフにはちょっとしかお金が入ってなかったから無事だったんだけど。その時計は日本円で一万円もしたのにさ」

事故で意識のない人間から、高価な物のみ狙って奪い取る。
なんて非情な世界であろうか―――。
すっかり笑いも消え去った。

私はすくっと立ち上がり、「飲んだら乗るな。言葉のまんまだよ」と真剣な眼差しで彼に訴えかけ、それに応えるようにしてまた彼も「飲んだら乗るな」とその言葉の後を追い、「そう。飲んだら乗るな」「わかった」「グッドラック!」みたいな具合で、事故の惨劇は幕を閉じた。