命の次に大事

「ミュージックプレイヤー」であるらしい。
私の場合。

「片方のイヤホンがまったく聞こえなくなっちゃったんだよね」

新品のMP3は今のところゴキゲンだが、私の元まで音を運んでくれる肝心なアイテムが損傷してしまったことを嘆いた言葉に対する妹の返答が、「それは大変だよね。だって・・・」と、タイトルのセリフ。

常に音楽ばかりに集中して、たまに投げ掛けられる言葉をスルーしてしまう私に対しての皮肉と、軽い冗談である。

「命の次に大事」は大袈裟にしても、だけど、音楽をベストな状態で聞くことが出来ないという状況は、私にとって「早々に解決すべき問題」であることに間違いはない。

昨日、丁度デンパサールへ素材の買出しをしに行く機会があったので、「イヤホンが欲しいならデンパサールにいろいろあるよ」という多くの一致した意見を元に、「これは一石二鳥」ってことで探しに出掛けた。
しかし。
薄々「これは考慮しなきゃいけないポイントだよね」とは思っていたけれど、自分のミス判断がこれほどヒドイ結果を招くことになるとは。

なにがって、「買物の目的によって同行する相手の選択」のことである。

別にこれといった目的もなく、プラプラしながら気に入ったものを見つけられたら「ラッキー」であって、「物を買う」ことそのものではなく、目新しく刺激的な物を見ながら「プラプラする時間」を楽しみたいのであれば、それは彼氏であったり彼女であったり、友人であったりすればいい。

もしくは、購入目的の物がはっきりしていて余計な時間をかけたくなかったり、誰かと一緒に買物をすることで気を遣ったり億劫に感じたりすることが苦手だったり、そもそも根本的に「買物は一人がいい」というケースもある。

家庭の中での生活用品を購入するためだったり、日頃なかなか作ることの出来ないコミニケーションを取るための家族での買物もあるだろう。

「その方面」にちょっと詳しかったり、専門的な知識や感性でのアドバイスが必要だったりする買物に、的確でいて客観的な意見を述べてくれる人をチョイスすることもある。

そして、私がバリ島へ来てからというもの、少々寂しい事ながら「その時の買物目的に的確に応じることが出来る人」もしくは「たまたま時間が作れてそこまで連れて行ってもらえそうな人」というのが、ほぼ98パーセントの「買物の同行者」の選択条件となっている。

小さいながらもビジネスで滞在しているのでそれは仕方のないことなんだけど。

ちなみに残りの2パーセントというのは、宿のオーナーのデワ絡みの退屈な買物だったり、宿のスタッフと10メートル先のミニスーパー蚊取り線香を買いに行ったりすることだったりする。

で、話は戻ってイヤホン。
私の気持ちは別として、あくまでも「ついで」という名目で、この日共にイヤホンを探すこととなった相手というのが、お馴染み「きいちゃん」である。
あぁ、痛々しいまでのミスチョイス。

その男「20代中盤ですでに1児の父であり夫である家庭持ち」である。

かつては宇多田ヒカルの「First Love」を日本語(しかもアカペラ)で歌いきった能力をも持つ。

今となっては「どうしてそんなにも日本語が不自由になってしまったの?」と哀れむほどの語学力と、そもそも当時その曲をマスターした不純な動機も見逃すことが出来ないが、それよりなにより「歌唱力」という点にも多少の問題があることを、余計なお世話事ながら追記しておく。

若かりし頃(今も十分若いとされる年齢なのだが)、それなりに音楽にも関心があっただろうし、そこに費やす時間的、精神的余裕も情熱も、あっただろう。

しかし家庭を持った今となっては、彼の場合、すべてに置いての最優先事項は「家族を養うこと」という一点にシフト変換された。

とにかく何事に対しても「お金になること」が必須事項であり、だから得意だったサーフィンも辞めてしまったし、ギターも弾かなくなったし、宇多田ヒカルの名前もすっかり忘れてしまった。

そんな彼はやはり「ミュージックプレイヤー専用のイヤホン」が、どんなお店で販売されているのかを知らなかった。

そしてその結果、最初に入店したのが「モバイルショップ」である。

確かに、日本と同じように、バリ島でも「ちょっと奮発した携帯電話」だとミュージックプレイヤーとしても十分に楽しめる機能が備わっていたりする。
携帯電話にイヤホンを差して音楽を楽しむ人の姿もよく目にする。

でも明らかに「差込口の穴の大きさ」が、携帯電話のそれと、MP3のそれとでは異なるのだ。

私がイヤホンを外して差込口のサイズの違いを示してみても、彼は二軒目のお店も頑なに「モバイルショップ」を選んだ。なんの躊躇もなく。

「ここにはない」と何度説得しても、聞く耳持たずに店のスタッフを捕まえ「これ置いてない?」と質問する。
無論答えは「ない」である。
それでもしつこく食い下がる。他の店員を呼び止めようとする。
もう、理解不能である。

私はこういった無駄足が嫌いなので、二軒目を出たところで「なんでモバイルショップばっかり行くのよ。お店の人も差込口のサイズが違うって言ってたじゃん。ミュージックプレイヤーショップに行けばいいんだって」と、抗議した。

そして彼は「わかる、わかる」と言って、すぐ向かいにあるモバイルショップに私を連行したのである。
一体なにがしたいのだ―――。

何がしたかったのかといえば「イヤホンありますか?」と、ここでもまた同じ質問を店員に繰り返したかっただけなのである。

「ノー」

この暑さで「ひょっとしたら気でもおかしくなったのかもしれない」と思った私は、先程とは幾分異なり優しい口調で尋ねた。

「さっきも言ったけど、どうしてモバイルショップばかり行くの? どこのお店も置いてなかったじゃない」「でも一軒目のお店はただ品切れだっただけ」「そうだとしても音楽プレイヤーを置いてあるお店に行った方が確実だよ」

彼は納得したのか、これまでお決まりだった見当違いな問い掛けを、三軒目にしてようやく「このイヤホンはどういったお店に置いてありますか?」という的確な質問内容へと方向修正した。

ウブドの近くのお店にあるかもしれないって」「それじゃ、帰りがてらそこに寄ろう」

だがしかし、バイクで10分も走らないうちに止まった先にあったのは、まぎれもなく「モバイルショップ」であった。

ひょっとして記憶障害であろうか―――?
そうとしか理解できない。

そして当然のごとくまたもや撃沈。
しかもこの店、駐車場代を徴収しており、そしていよいよ私の激怒は頂点に達してしまった。

もう「なぜ?」という無駄な問い掛けはしない。
この場合、最も適切と思われる訴え。
それは残念ながら「もうイヤホンのことはいいからウブドに帰ろう」である。

その言葉に「うん」と頷いて、だけど彼は少し大きめのスーパーマーケットの一角で展開されていたモバイルショップへと私を降ろした。

もう笑うしかない。

そして初期設定されてしまった質問は、またもや最初と同じ内容のものとなってしまい「このイヤホンはありますか?」であった。

「携帯電話の差込口は小さいからね。イヤホンは合わないよ」と、聞き飽きたが正当な返答。
神妙な面持ちで聞いているきいちゃんが、不気味に思えて仕方なかった。

なんだか途方もなく絶望的な気持ちになってしまった私だが、五軒目を出たところで、きいちゃんは大人しくウブドへとバイクを走らせてくれた。

「個人的に一番必要とした物」を見つけ出すことが出来なかったのに、このとき私は心から彼に「(戻ってくれて)ありがとう」と、感謝していた。

「きいちゃんマジック」の前に、これ程度の「命の次に大事」では、成す術なし。