マレーシア旅情編〜後半〜(04/14の出来事)

友達の「友人」だという彼は、私とまた同じように「まったく面識のない」私という人間からの突然の電話に、それはそれは親切かつ親身になって対応してくれた。

一度目の電話は、私にまったく余裕がなかったということもあって、「自分が何者で、なぜ見ず知らずのあなたにこうして電話をしているのか」そして「自分は今ブッキトビンタン地区にあるCというホテルに滞在しており、滞在期間は今日を含めたったの一泊であり、明日の昼頃にはマレーシアを発たなければいけないこと」などをひとしきり話した時点で、無情にも最後のコインが吸い込まれ、プッツリと、二人を繋ぐ世界を遮断してしまった。

公衆電話のすぐ近くにコンビニエンスストアを発見することがなかったなら、恐らく私は彼に、この日二度目となる電話をかけることはなかっただろう。

なんせホテルの部屋から電話をするとなると、公衆電話よりはるかに割高な通話料を要求されるうえに、まずは「電話をかける権利」を取得するためにフロントで「50リンギットデポジットが必要である」という驚くべき現状を知らされていたからである。
コンビニでジュース数本とミネラルウォーターを購入し、数枚のコインを受け取る。
幾分緊張の解けた指先で同じ番号をプッシュする。

「さっきはごめんなさい」と前置きをして、だけど相手の名前を聞くゆとりはまだなくて、外出中であるという友人に「それでは私の滞在先のホテルを伝えてそこに電話するように伝言してください」と言い、「それじゃ、また。ありがとう」と受話器を置こうとしたところで彼が弾んだ声で、こう告げた。

「ハッピーニューイヤ。明日はネパール暦のニューイヤーなんだよ。あなたにたくさんの幸運が訪れますように」

「あ・・・」そうなんだ。
言葉を発しようとした瞬間、電話はまたしても途切れてしまった。

そこで私は初めて、自分が話していた相手が友人と同じネパール人であったこと、偶然にもそのようなオメデタイときに自分がこの地へ訪れることになり、そして、本来であれば大好きな祖国で暮らしていたであろう友人と再会するチャンスに恵まれることになった不思議な巡り合わせに、少しだけ感謝したい気持ちになっていた。

残念ながらその日の夜、私は友人と再会する機会を手にすることは出来なかったけれど―――。

7時に合わせていたアラームにまったく気付かないほど私は深い眠りに就いていて、翌朝目が覚めたのはとうに8時を回った頃だった。

お昼には空港へ向かうバスに揺られていなければいけない私は、「これで最後にしよう」と、高額なデポジットをフロントの男性に支払い、部屋から昨日の彼に電話をかけた。
まずは忘れてならない「ハッピーニューイヤー」の第一声で。

受話器の向こう側は心なしか人の声で賑わっているようだった。
「今日はネパールの友人たちとニューイヤーパーティーで盛り上がっているんだ」と、嬉しそうな彼の声。

「うん。なんだか楽しそうだよね」「彼とは会えた?」「ううん。まだ」「電話は受けた?」「それもまだ」「本当に? 確かに彼には伝言したんだけど。ごめんね」「そんな。大丈夫だよ。気にしないで」

「ところで今どこにいるの?」「Cホテルだよ」「本当に?!」「うん」「そこなら今、彼が近くまで行ってるって、さっき連絡があったんだけど。彼は昨日も同じホテルに行ったんだけど、フロントの係員に該当するゲストがいないって言われたと言ってたんだよ」意外な事実を耳にする。ひょっとしたら昨晩のうちに会えていたかもしれなかったんだ。

彼は恐らく私のファミリーネームを知らないので、たぶんそこでフロントと行き違いが発生したのだろう。部屋番号まで伝えてあったのだけれど、そこまできっちり伝言されなかったらしい。

「彼の番号を教えるから電話して」「それ、どこの番号? 職場?」自分の携帯を持っているのであれば、最初にその番号を教えるはずである。

「彼が持っている携帯電話番号だよ」

三度目の電話にしてようやく判明した「ラックス」という名の彼に、「今度こそ彼と会えることを祈ってるよ。そして今度は、電話じゃなくていつかどこかで君に会えることも祈って。またね」「本当にありがとう」と、最後まで優しい言葉を掛けられ、私は安堵の気持ちを残して電話を切ることができた。

お互いに異国の地で巡り合えることも素敵だけれど、なにより、私はあなた達と、あなた達が誇りに思い、慕ってやまないネパールという国で会いたいんだよ、本当は。

友達から携帯電話を借りて来たという友人は、ラックスとの会話から20分ほど経過した頃ひょっこりと、私の部屋を訪れた。

「久しぶり。元気だった?」
まだ二十歳そこそこの彼は、幼い表情を浮かべて右手を差し伸べた。

マレーシアにはつい四ヶ月前に来たんだ。
あれ? マレー語話せるんだ? インドネシア語とほとんど同じ言葉だったなんて知らなかったよ。
ところで何で、日本からじゃなくてインドネシアから来たの?

そこに小さなお店を開いたからだよ。
マレーシアはどう?

「好きじゃない」
それだけ一言つぶやけば、私にも、そして彼にも、それ以上の言葉は必要なかった。

このときすでに、私が空港へ向かわなければいけない時間は二時間を切っていたが、無謀なところがあり、そして朝から何も口にせず判断能力が低下していたこともあって、「マレーシアに働きに来ているネパールの友達に会わせたい」という友人のリクエストにまんまと乗ってしまい、必要のなかった「破滅へのカウントダウン」に恐怖することとなった。

地図上ではそれほど遠く感じなかった「ネパールの友達と共同生活しているという友人の家」は、モノレールと高架鉄道を乗り継ぎ、目的地のある駅からさらにタクシーを利用しなければいけない忙しさで、さらに渋滞に巻き込まれたこともあって、11時にはホテルをチェックアウトしたのに友人の家に到着したのは12時半になろうとする頃だった。

これは非常にマズイ事態である。

フライト二時間前の手続きを考えたら二時半には空港に到着していなければいけない。
最悪のマックスを考えたとしても三時をちょっと回った頃が限界だろう。

それなのに、私といったら、空港への直通バスが出ている駅から30分以上1時間以内はかかる距離へと移動してしまったのである。
しかも、その直行バスから空港までは渋滞状況にもよるが、1時間から1時間半も費やすというのに―――。

「来た途端で申し訳ないけどここには15分しかいられない」と友人に切羽詰って説明しているところで、温厚そうな男性が、玄関口から私へと近寄って来た。

「彼がラックスだよ」という友人の言葉に、あぁ! という声が漏れ、「はじめまして。あなたの親切のお陰で友達と会うことが出来ました。本当にありがとう」と礼を述べ、お互いに固い握手を交わした。

ラックスはにこやかに微笑みながら「よく来てくれたね。どうぞ中に入って」と、私の焦りの心情など察することなく、家の中へと招き入れてくれた。

さらには「会いに来てくれたなんて感激だ。ありがとう」なんて言ってくれちゃうものだから、私も開口一番「すぐにでも空港に向かわないとチケットを買い直す羽目になるんです」なんてもっともな事すら、主張することが躊躇われた。

共同のリビングやキッチン、部屋などを一通り見学させてもらってジュースを出されたところでようやく「今すぐに空港へ向かわなければいけない」と伝えることが出来た。

しかしそこは、やはりどこか呑気なネパール人。

「それじゃ、友達として空港まで見送らせて」「えっ?! そこまでしてもらったら悪いし。私なら大丈夫だから」「僕達はもう友達でしょ?」「はい」「友達なら見送らせて」「(そういうの苦手なんだよね)でも空港で手を振られたら悲しくなっちゃうから」「そうか。それは残念。それならせめてバスが出てるっていう駅までは一緒について行ってもいいかな?」と、切羽詰った中での優雅な会話が、私とラックスの間でのみ展開される。

そしてさらに追い討ちをかけたのは「それじゃ、着替えてくるから待っていて」というラックスのセリフであった。

ちょ、ちょっとぉー!!!
着替えて来るってなによ。
そのTシャツとパンツでいいじゃん!!
パジャマと素っ裸でなければ大丈夫だよぉー。

私の了解を得る前に部屋へと消えてしまったラックスが、シャツにネクタイといったサラリーマンのような格好で再び我々の前に姿を現すのに、「この1分が勝負」って瀬戸際に、10分もの時間を要してしまった。

わざわざ私のために正装してくれたとはいえ、「それじゃ、着替えも終わったことだし、とっとと出発しようか」と、ついついせかし口調になってしまうほど私は焦っていた。

そのビシッと決まった服装をひとこと誉めることも、感謝の言葉を口にすることも出来なかった器の小さい私で申し訳なかったと、今も尚、チョットだけそのことが気に掛かっている。


すでに「安上がりのために電車を乗り継ぐ」という手法など用いる時間の余裕がなかった我々は、セントラル駅までタクシーを利用することを選択した。

それこそ時間的にも金銭的にもどれだけかかるのか見当もつかなかったし、渋滞のことを考えたら電車を使った方が賢明な気もした。

だが、私を見送るためにわざわざ同行してくれるという二人のネパール人が「タクシーを使おう」と提案したので、私はそれを受け入れることにした。

しかし、肝心なタクシーはなかなか通らないばかりか、ようやく捕まえて行く先を告げた途端に「乗車拒否」をされたり、すでにお客さんを乗せていたりで、思うように前へと進めない。

そしてラックスの「我々がタクシーに乗れるか乗れないかは神様次第。君はただ、願いが聞き入れてもらえるように神様に祈ればいいから」と、あってはならない「神頼み発言」が、私をさらなる絶望の淵へと追いやった。
本人、まったく悪気はないのだけれど、この状況に用いるべき言葉ではなかったよね。

「もう待つのも限界だ。彼らとはここで別れて私一人で駅に向かおう」そう決断したとき、我々の前に一台のタクシーが停車し、駅まで乗せてくれるという。

メーターではなく「言い値」だったので、どうなんだろうか? とも思ったが、きっと「神様がよこしてくれた人」に違いないので、それに従う事にした。

途中、渋滞に巻き込まれたものの、駅に到着するまでの所要時間は30分ほどで、1時半を少し回ったところだった。

幸いバスは、私が乗車した直後に発進したので、ネパールの友人たちには満足なお礼を告げることなく慌しくバタバタと立ち去ることになってしまい、だけど、バスの窓から見た「好きじゃない」という国で見せた彼らの満面の笑みに、次また訪れるであろう再会と、なにより、彼らがこの先辿っていくであろうネパールの未来に、揺るぎない希望の光が差し込むことを祈って、それこそ彼らの信じる神に強く願って、私はマレーシアを後にした。