マレーシア旅情編〜前半〜(04/13の出来事)

去年のインドネシア長期滞在ビザの申請は、初めて訪れる国シンガポールでの手続きだった。

小心者の私には考えられないことだが、ガイドブックも持たずに旅立った。
完全な準備不足だったのだ。仕方がない。
それにカンタンな市内地図くらい空港で手に入るだろうと思っていたし、実際、確かにそのようなものと、シンプルな観光資料を入手することが出来た。

マレーシアもきっとそうであるに違いない。
今回もガイドブックは持たずにマレーシアへと向かった。
バリ島へ出発する直前、「チケット料金の都合で今回はマレーシアあたりに出国する可能性が高いな」とは思っていたので、ネットでマレーシアやエアアジアについて触れているサイトを軽く閲覧する程度のことはしていた。

そして、滞在するなら「チャイナタウン」(私は各国のチャイナタウンを散策するのが大好きである)か「ブキットビンタン」エリアがいいなぁ、などと漠然とは思っていたので、そのふたつのエリアに対する興味深いサイトを見つけると、ほんの数ページではあるが、プリントアウトなんかしてみたりもした。

かくして、それらわずか数ページの資料を持って、バリ島からマレーシアへと呑気に旅立った私なのであった。

果たして「乗客30名程度の搭乗が限界のプロペラ機」を想像していたエアアジアであったが、しかし、これまで何度となくお世話になっているA●やB●なんかより機内はよっぽど清潔感に溢れており、シロウト目から見ると機体も新しい。シートもゆったりしている。
もちろん、どこかの「バカ」が想像していたような「30名乗りのプロペラ機」などではない。そんなわけないではないか。

利用客の数にも驚いた。
ほぼ満席状態なのである。
私が希望していたフライト日など満席で取れなかったほどだから、エアアジアは私が思っていた以上に人々に受け入れられており、この勢いだと近いうちに日本路線が出来ても不思議ではないとさえ感じた。

「格安」という言葉で「安全面で不安」と勝手に思い込んでいたが、エアアジアは「省いたところで乗客に対してさして不便でもないサービス」を一切行わずコストを下げたことで、この価格を実現することが出来たのである(たぶん)。

さほど美味しいともいえない機内食エアアジアでは食料品は機内で「食べたい人、飲みたい人だけ好きなものを購入」するシステムを取っている。

ほとんどの席から満足して画面を鑑賞することが出来ないもどかしいばかりの機内上映。エアアジアの機内には画像を映し出すプロジェクターも、音楽を聞くためのヘッドフォンさえない。

新聞紙も雑誌も置いていない。ブランケットも枕もない。
機内を散らかす物がなにもない「ないないづくし」である。

よくぞここまで大胆に、そして徹底してこれまで「受けて当然」とされていたサービスを廃止できたものである。
お見事、エアアジア
絶賛の私であった。

そんな風に褒めちぎっておきながら、やはり本来私が持つ「機内で過す時間ほど退屈極まりなく苦痛なものはない」という考えが変わることはなく、いよいよ三時間のフライトさえ「耐えがたい」ものと感じるようになってしまった私は、同じように「ボク飽きちゃったんだもんねー」と言わんばかりにシート上で飛び跳ねて母親にきっつく叱られる子供を見ては「わかる。その気持ち」と、みょうな仲間意識などを感じてしまうのであった。

無事に着地を果たした機体の上には、今にも降りだしそうな雨雲が広がっていた。
クアラルンプールは今、もっとも降水量の多いシーズンを迎えていた。

すでに、自分が去ったばかりのバリ島の空模様が気になっていた。

さて。
荷物をピックアップすることもできたし、「ひとまず市内地図及び参考になりそうな観光資料でも探すか」と思って小さな空港内をウロウロしてみるも、具体的な観光資料となりそうなものが見つからない。
マレーシア各地の観光地を細かく分けた「うすっぺらな紹介文用紙」みたいなものだけである。

困ったなぁ。
ここが「クアラルンプール国際空港」であったなら、そんなことはなかったんだろうけど、なんせ私が降り立ったのはエアアジア専用の「LCCターミナル」と呼ばれる場所である。

当初は「クアラルンプール国際空港」に乗り入れていたエアアジアだったが、2006年3月に「格安航空会社専用空港ターミナル」が開港し、そちらに移動することになったのだと、あるサイトに説明があった。

格安だけに、なんでもかんでも簡略化されている。
コストのかかる分厚い資料を置いたところで航空会社になんの得があるというのだ?
あくまでも「最低限のサービス」だけを提供し、あとは「ご自分でどうぞ」なのだ。

なるほど。納得。
右も左もわからない状態にいるが、それでもまだ「焦り」や「緊張」はない。
資料がないなら両替だな。
まずはマレーシアの通貨「リンギット」を入手すべく両替所を探す。

ほどなくして見つかり、自分では一泊過すだけにしては「大金かなぁ」と思われる4000円が、わずか112リンギットという額にしかならずボー然とする。
単位が低すぎてその価値がまったくわからない。

試しに空港内で販売されていた書物を手に取り価格をチェックする。
「48リンギット」の表示。
私の全財産の半分を、このハードカバーに持っていかれてしまう。印税はいかほどか。
そんなことはどうでもいい。

でも、あれだな。
空港内で販売されてるハードカバーの書籍が高いのは当然のことだし。
こんなことでビビることはないよ。たぶん・・・。

「タクシーを使ったらやばいだろう」という知識を手に入れた私は、大抵どこの国にもある空港から市内へ運行しているであろうバスを探すことにした。

何種類かのバスを見つけることが出来たが、どこまで行くバスなのかよくわからない。
係員の立っているバスに近づき、事前に予約を入れておいたホテルのある「ブキットビンタンへ行きたいんだけれど・・・」と尋ねた。

すると逆に不安になるほど軽いノリで「オッケー、オッケー。これでセントラルまで行っときな」って言う。
「セントラルって? ブキットビンタンまでは行かないの?」
「セントラルステーションまで行くバスだけど、そっからモノレールでブキットビンタンまで行けばいいよ」って、またまた何でもないことのように言う。

私はここでようやく「旅先での不安」を感じることになった。
私、乗り物を乗り継いで目的地まで移動しないといけないんだ・・・。
愕然。

「トホホ」と思いながら、どこか途方もなく未知なる世界に護送される気分でバスに乗り込んだ。そのときの私の心境はあまりにも悲嘆に暮れたもので、「おい、つり銭忘れてるぞ。しっかりしな!」と、係員にマヌケな突っ込みを受けてしまうほどであった。

私の不安な気持ちを代弁するかのごとく、やがて激しい雨粒が窓を打ちつけ始めた。
途中で渋滞に巻き込まれたこともあって、バスの係員が言っていた「KL セントラル」の駅に到着したのは、空港を出てから一時間半近く経過してのことであった。

もちろん、すでに日はどっぷりと暮れ、クアラルンプールの町はすっかり暗闇に包まれてしまっていた。
幸いバスを降りる頃には雨足は途切れていたけれど―――。

バスには三十人近い乗客がいたので、このうちわずか一人でもモノレールを利用する人間がいるだろうという淡い期待を抱いて、皆が一様に同じ方向へと向かうその先へと私も続いた。一人としてその流れから飛び出すものはいなかった。

しかし、そこに私が利用するべき交通機関は存在しなかった。

確かにその駅には、何種類かの電車が乗り入れていた。
だがその中に、ちょっと可愛い響きを持つ「モノレール」という乗り物を発見することは出来なかった。

いかにも無愛想に見える駅の係員をつかまえて、やはりその返答は無愛想な上に非情に大雑把な「アウトサイド」という一言で片付けられ、そして外に出たところでそれらしきものを見つけることが出来なかった私は、熱心に呼び込みをしているバスの係員に尋ねた。

「モノレールの駅はどこ?」
「ああ、それならあそこだよ」と指差したその先を目線で辿ると、「順調に迷わず歩ければ、そこまで徒歩3分ほど」という距離に、モノレールが走っていそうな建物を見つけることが出来た。

「ありがとうございます。あなたは命の恩人です」とまでは言わなかったものの、「明日、空港に向かうときにはあなたの呼び込みに応じてこのバスを利用します」とも言わなかったが、とにかくいつもにまして感情を込めて感謝の意を述べた。

そしてささやかな幸運は続いた。

ブキットビンタンエリアの名前がそのまま付いた駅名を、モノレール乗り場のボードで見つけることが出来たのだ。
他のエリアはどうだかわからないが、少なくとも「チャイナタウン」という駅名は見当たらなかったので、ガイドブックも持たずにこの国へとやって来てしまった私にとってはラッキーなことだったと言える。

チケットを購入する窓口で堂々と100リンギット札を差し出し「もっと細かいお金ないの?」と露骨に嫌な顔をされたが、この地で失うものなどない私はお構いなしである。
「ない!」
小銭を手に入れ、意気揚揚とホームへ向かう。

モノレールの車輌は想像以上に短く、さらには二両編成というコンパクトっぷりであった。
ここ数年で完成したばかりだそうだが、バンコク高架鉄道BTSの方がよほど最新式のものに思えた。

ついつい気を抜いて居眠りしてたら「乗り過ごしちゃった」なんてことにならないよう、目的地の駅まで指折りカウントをする。
あと4つ、あと2つ、あと一駅―――。

でも実は、モノレールを降りたここからのスタートが、一番の難問だったりする。

個人の方が運営されているマレーシア情報のサイトの中にあった「ブキットビンタンエリアマップ」に、後に知ったことなのだが、私の滞在するホテルの場所が記載されており、偶然にもそれをプリントアウトしてバリ島へ持参していたため、少なくとも「何の手掛かりもなく怪しげな夜の町を彷徨う」ことだけは免れることとなった。

しかしである。

私は「地図の読めない女」であるうえに、見事なまでの逆方向人間という悲劇の方向音痴である。

通常の人が5分で行ける場所も、平気で20分以上を費やすほど、見当違いにウロウロうろうろと周囲を徘徊してしまう。
このときも、案の定「真逆」に向かって颯爽と歩き出し、「何かがおかしい?」と気付いた頃にはすでに10分も無駄に歩き続けた後であった。

その後も、正常な方向に向かったと思いきや、その先で逆に向かい、そしてまた方向転換を図るなどして、ホテルに辿り着くまで優に30分近くかかってしまった私だが、迷わず直行できたなら、モノレールとの距離は歩いてわずか3分ほどという好立地にあるホテルであった。

チェックインを済ませ、いよいよ緊張から解き放たれると思いきや、実は本日最大の「とっておきなイベント」が私には残されていたのであった。
身も心も心底「お疲れ」で判断能力が相当鈍っているうえに、「相手が見えない電話が苦手」な私にとっては、非情に酷ともいえるミッション。

友達の友達という「まるで面識もない相手」に対して、英語もしくはネパール語でコンタクトを取ること。

それというのも、ネパール人の友人が最近マレーシアに働きに来ており、「おっ、奇遇じゃん。私も近々マレーシアに行くよ」「それじゃ、友達のモバイルに電話してよ」というメールのやり取りがあったのだ。

何度も言うが、私はかなりの小心者である。
その小心者がこともあろうに「見ず知らずの相手に苦手とする英語で通話する」というのである。

それを済ませないことには、やはりイマイチ美味しく感じることができなかったマレーシアの夕食を済ませたところで、今日という一日は終わらないのである。

つたない英語で事足りるかという点で不安は残るものの、ある程度の小銭は入手済みである。
あとはすでに目の前に立ちはだかっている公衆電話にコインを投入し、教えられた番号を正確にプッシュしてしまえば最後、自分を追い詰めたも同然である。
もう逃げ場はない(切断という最終手段は残されているが)。

出来る。
私になら出来る。
何を口走るかは不明だが、少なくとも何かを発することは出来るはずである。

己を「これしきのことならクリア出来る人間である」と思い込ませ、すっかりひと気のなくなったショッピングモールの一角で、私は携帯電話の番号をプッシュした。