お金にまつわるエトセトラ

「こういうことって、続くときは続くんですねっ★」

屈託のない感じで書いてみました。

寝起きの頭に「50万(ルピア)貸してください」である。
どんなアラーム音より効果抜群。
すっかり目が覚めました。

言葉の出ない私のことなどお構いなしで、なにを言ってるんだか理解しずらい日本語での事情説明を電話口で始めようとするので「ちょっと待って! あとでそっちに行くから詳しい話はそのときにして」と、暴走を止めた。

一日はこれから始まろうとしているというのに、「今日」という日を投げやりたい気分だった。
この友人から借金の申し出を受けるのは初めてのことだった。
「初めてだから」という理由はこの場合、べつに何の意味も効力も持たないことではあるのだが、少なくとも「この件に関して彼とどのように接するべきか」ということは考慮する必要があった。

ひとまず、相手の要求に全面的に応じるつもりはない。
しかし両替だけは済ませた。
彼との話し合いの中で「これ」をどのように使うべきか考えようとそう思い、彼の家へと向かった。戦に出向く心境であった。

ここに辿り着くまで、私は実にいろいろなことをあれこれと考えた。
彼の人格、性質、考え方、行動、置かれた環境と現状、などなど。

「お金を貸してくれ」としたことを、頭ごなしに否定してはいけない。
そこに行き着くしかなかった彼の心境と現状を、私は多少理解している。
しかしやはり「お金を貸す」ということは、私にとってただそれだけのことではないのだ。

「たのもう!」まるで道場破りのような私の荒々しい心境とは対極に、彼はとても穏やかで静かに、部屋の前に座っていた。

表情の険しい私に「どうぞ、座って」と促し、続けざまに「もうご飯は食べましたか? 良かったらうちのご飯を食べませんか?」と言う。
明らかに彼の方が優位な場所にいた。

「あのさぁー」と口を開いた私の言葉をさえぎり、「お金を貸してくださいってお願いするのは日本人にとって良くないこと。わかってる」と切り出した。

そしていつも聞かされている「自分の置かれた不幸な境遇」「運に見放されている自分」「お金に振り回される自分の人生への嘆き」を、時にしんみりと、そして痛々しいほど皮肉交じりの笑顔で語ってみせた。

彼は自分の中にある矛盾に人一倍戸惑い、そんな自分を責めては落ちる人間である。
とてつもなくお人好しでもある。それが一層彼を苦しめる。
慢性的にお金に困っているけど、それに執着しているわけではない。
友達や家族が困っていれば、力になりたいと心底思える優しさを持つ。

ここに辿り着くまで、私は実にいろいろなことをあれこれと考えた。

でも、彼の言葉を聞いていたら、今はそんなこと考えたところでなんなのだろうと、そんな気持ちになった。
彼の言ってることも、私が複雑に考えていたことも、だから一体なんだというのだ?

時折吹く風が心地良い。

「お金」「彼という人」「私の押し付けがましい気持ち」「バリのお国柄」そんなことが何の意味も、関係もなく感じられるほんの一瞬に、開け放たれる新たな扉がある。

「全額は貸さないよ。残りはなんとかして都合つけて。これはあげたお金じゃないからそのことは忘れないで。今週の金曜日が返済期日だよ」

「それじゃぁ、またね」と手を振って、思いのほか清清しい気持ちで彼の家を後にした。

なにも変わっていなかった。

水色の空も、稲穂がカサカサと揺れる音も、蒸し暑い空気も、緑の葉の眩しさも、「おかえり。元気?」というデワの笑顔も、「ただいま! 元気だよ」と、答える自分も。