雨に怯えて

「雨漏り」

アニメ「サザエさん」の中のネタ、もしくはコントの中でしかお目見えできない事だと思っていたら、当店では話のネタでもギャグでもなく、かなりシリアスにこの問題に悩まされている。

関係ないが、「サザエさん」とはどのような表記が正しいのか、「ドラえもん」並みに悩んだが、悩むまでもなく変換キーを押したら自動的に変換された。さすがは「国民的アニメ」と感心する。これが正確か否かはわからないが信用するしかないところだが。

ところで「雨漏り」。
深刻な問題である。
激しい雨が降ると店内にはちょっとした水溜りが出来てしまうほどである。
詳細は別ブログ「Asian Zakka Moti〜シロウト集団のお店デキルカナ?」で触れているので省くが、二箇所に及ぶ雨漏りは、今まで幾度となく「プロの大工」といわれる人達の手によって修繕されてきた。

しかし、今まで一度としてあの床に滴り落ちるオモラシが解消されることはなかった。

一体これはどういうことだ?

雨漏りを直すってのはそんなにも厄介なことなのか?
それとも今まで「大工さん」と思い込んでいたあの人たちは「高いところに登るのが得意」ってだけの「おのぼりさん」だったのか?

それともひょっとしたら、うちの店の屋根にはタチの悪い魔物でも棲みついているのではないか?
だとしたら必要なのは「大工」ではなく「祈祷師」である。

そんな不健全なことを悶々と考えてしまうほど、この「雨漏り問題」は「Asian Zakka Moti」に暗い影を落としていた。

そして今日。
開店前から取り掛かったと思われる「雨漏り」の修繕作業。

もう何度目になるのかわからない。
もちろん、その都度その都度、材料費だの人件費だのはしっかり発生するので、いい加減、金銭的にもそれほど「大目にみる」余裕はない。

大目に見るとは何に対してか?
もちろん、「大工さん」と強情な「屋根」に対してである。
ここらで双方、そろそろ「自分の役割」をきっちり果たしてもらわないと困る。
そうでないと君達だって「自分の存在意義」ってものを忘れてしまうはずだ。

なんてことをブツクサ考えていたら、いつの間にか修繕作業は終了して、大工さんは私の知らぬ間にバイクに乗って自宅へ帰ってしまったという。
どうやら、私が鬼のような顔してここ数ヶ月間の金銭処理を行っていたので、遠慮して声を掛けられなかったらしい。

それにしても「結果はどうあれ」お礼のひとつも言わせてもらえないうちに姿を消してしまうとは―――。
そういや支払いもしてないぞ。

スタッフのワヤンに「Terima Kasih」ありがとうというインドネシア語のスペルを教わって、お礼を入れた封筒に書き込む。

大工さんの家を訪れた頃にはすっかり陽も暮れていて、おじさんの顔は孫とたわむれて遊ぶ優しいおじいさんの表情になっていた。

「テリマカシ」とゆったり微笑んで封筒を手渡そうとしたとき、孫の玩具を持つ手がおじさんの禿げ上がった地肌へと伸び、そこで車遊びを始めてしまい、失礼なことに大爆笑してしまった。

そんな私を見て家の人たちも笑って、おじさんも照れくさそうに微笑んで、そうしてその日の夜も不安な雨は降り、けれども、またもしあの悪夢が姿を現したとしても、この土地の屈託ない笑顔を持つ人たちによって「なんとなく」ではあるが、それは徐々に輪郭をぼやかしながら解消されていくのだろうと、そんな風に思った。