営業ストーカー

口の動きが休まることがあるのか?
そんな疑問を抱いてしまうほどの「究極のおしゃべり」がいる。
自分にとって都合の悪いこと以外はなんでもかんでも情報漏洩してしまう男である。

悪気はない。
ただ「知っていること」を言葉にしているだけなのである。
場所も時も、相手も選ばず、問答無用に。

しかしときにそれが「厄介」なことに繋がる事もある。
普段であれば「おばさまたちの賑やかな井戸端会議」で微笑ましい光景と処理される彼の「機関銃トーク」が、本人の意思とは関係なく牙を剥くとき―――。
そこに悲劇が生まれるのである。
私は彼のことを「きいちゃん」と呼び、まるで十年来の友達のような付き合いをしている。
小さな喧嘩などいつものことだし、本気で険悪な喧嘩をしたのもバリ人では彼が初めてである。
しかし、最終的にはどちらからともなく仲直り出来るのは、ひとえに彼の「腹の立つ身勝手な言動もあるが根は素直で正直者」という人柄にあるように思える。

互いの人間的性質をある程度「理解」したうえで、お互い純粋に助け合ったり、仕事上の関係でうまく利用し合ったりと、私の文章力に問題があるせいか、利害関係だけが一致して成り立っているような二人に思えるが、突きつめると「確かにそうかもしれない」と文章共々気持ちまで散乱状態。

でも私は彼が好きだ。
そう言い切ってしまうとなんだか悔しいし、「そんなわけないよ」とまだまだ認めたくない部分もあるので、書き換える。

それでも私は彼のことを「きいちゃん」と慕ってやまない。

この日は、バリ島のお土産として有名なガムランボールを取り扱っているお店に「知り合いがいる」ということで、きいちゃんに紹介をお願いした。

すでにお店では天然石をあしらったステキなガムランボールを取り扱っているのだが、質は落とさず天然石のみ外した「料金的にもう少しお手軽」なガムランボールがあってもいいのではないかと思ったのだ。

バイクを運転してもらいお店に向かう。
何度か道に迷ってようやく目的のお店に到着。
「このお店にお友達がいるの?」と訊ねると「そうそう、友達このお店のセキュリティー(警備員)やってる」と、経営および販売業務とはなんら関係のない職務を持つ友達であることを知らされ笑いがこみあげる。この外しっぷりが私にはたまらない。

「ビジネスプライスだ」という店員の提示した金額は確かにお手軽な価格ではあったが、どうも肝心な「音色」にちっとも趣きを感じることが出来ず、私には「安いよ、安いよ」といった魚河岸のそれにしか聞こえてこなかったため、このお店は早々に退散することにした。

で、このお店一軒できいちゃんの「ツテ」は終了である。
しかし、ここから先がきいちゃんの「他とは違う能力」を存分に発揮する機会なのである。
そう、それは類稀なる「おしゃべり大すき」という、羨ましいような呆れるような武器。

まずは友達のセキュリティーに「他にオススメのお店」を尋ねる。
すぐさま教えてもらったお店に向かう。向かった先は20代そこそこと思われる女性ばかりが取り仕切るお店であったため、いつもと打って変わって無口になるきいちゃん。
「女の人ばかりだから恥ずかしい」と言う。
これは無意識のうちに「おばさんは女性という性別区分にはありません」と、少なからず自分はそのように認識していると発言したも同然である。
それはいけないことだよ、きいちゃん。

残念ながらそのお店ではガムランボールは品切れ状態。
多少モジモジしながらも「恥じらいを感じる」女性に、次のお店を紹介してもらうきいちゃん。こういう時は無意味に初々しくなるので大いに笑える。

そんなことを繰り返して何軒めかのお店に行き着いたとき、長らくお待たせすることになった「悲劇の発端」が始まった。

確かにこのお店に置いてあるガムランボールは音色も程よく、質もそこそこではあった。でもあくまでもトータル的に「そこそこ」。よく見ると柄の欠けているガムランボールがあったり、円形に歪みのあるものも中にはあった。

それらの商品をひとつひとつ手に取ってじっくり見る。
すべての買付において何より時間をかけるのはこの「品定め」である。
すべての工程を人間の手作業で行う商品を取り扱うことが多いので、それらの中にはどうしても「商品価値の低い」ムラのある物がいくらか発生してしまう。

それらを手に取ってしまわぬよう、物選びにはなにかと慎重になるので膨大な時間を費やすことになる。言ってみたら検品作業である。オリジナル商品もまた然り。

そんなとき、同じように膨大な時間を「持て余す」ことになるきいちゃんは、初対面の集団の中に入ろうとも次第に「輪の中心」となっておしゃべりに花を咲かせることになる。
そうすることでまた、彼はさまざまな情報を収集し、トランスポットという自分の職業にそれらの知識を役立てることになるのである。

湯水のように流れる会話を横目に、次から次へと目の前に置かれるガムランボールを手に取り眺める。
店員ときいちゃんの間で交わされるわけのわからないインドネシア語ではあるが、それとなく話題は「Asian Zakka Moti」の一点に集中されていることがそれとなく理解できた。

とくに店員の一人が熱心に「そのお店の場所はどこにあるのか?」「どんなものを取り扱っているのか?」と、明らかに不審なほどお店の詳細を尋ねる婦人がいた。

「なんか嫌だな」

言葉わからずとも、異常なほどまで「Moti」に興味を持つこの店員。
胸騒ぎがする。

そのような空気をまったく読まないきいちゃんは、自分が知りうるありとあらゆるお店の情報をサービス精神旺盛に話しまくる。とめどなく話す。
たまらず「このお店で購入するものはないから次に行こう」と促し、お店を後にした。

だがしかし、思いもよらぬ訪問者はなんの前触れもなくその日の夕刻やって来た。

あの店員である。

すぐにはわからなかったが、店じまいをしてこれから宿に戻ろうとバイクにまたがった私に駆け寄り「わたし、あなたが今日ガムランボールを見に来た店の店員だけど覚えてる?」と、英語で一気にまくし立て、そしてやがて気付くのであった。

「あー、こんなところまで営業に来られちゃったなぁ」と―――。

熱意は評価する。
しかし「自分の旦那」だという恰幅のいい男を連れて突然来られるのは歓迎しない。

彼女は言う。
「あのお店の言い値は高いから、私の旦那がやってるお店でガムランボールを買いなさい。うちならこの価格で提供できるわよ。今から一緒に見に行きましょう」

でも私は首を縦には振らなかった。
あの車に乗せられてしまったらお終いである。
それに私は、あなたのお店のボスが提示した金額も、あなたの旦那さんが「とびきり安い」と言う金額も割高だということを知っている。

それになにより、小心者の私はこういう意表をついたやり方に出られるとたじろいでしまい、すべてにおいて「NO」という答えしか出せないほど余裕がなくなってしまう。

だから「その価格は妥当ではない」という隙さえ相手には与えない。
「交渉するつもりは一切ありません」という意思表示だけ見せる。
しかし彼女もようやく見つけた「カモ」である。車を出してわざわざお店の場所まで突き止めたのだ。簡単には解放してくれない。

そこで私は「英語もインドネシア語もわからないから、私ひとりであなたの交渉に応じるわけにはいかない。何かあったら今日一緒にいた友達に連絡してもらう」と言った。

すると彼女は「突破口」を見つけたと判断し、目を輝かせて「これ、私の携帯番号だから彼に電話してもらって。明日はお店を閉めちゃうから明後日。明後日がいいわ。必ず電話してね」と、自分の電話番号を書いた紙を強引に渡すのであった。

私は「わかった。私は絶対に連絡しないけど“彼に電話してもらうから”」と、“”の箇所のみ英語で伝え、ものすごいスピードでエンジンをかけ逃げ去るようにバイクを飛ばした。

あぁ、あんなごっついオッサンまで同伴して来ちゃって、怖かった・・・。

無視を決め込めば、必ずあの「夫婦」はまたお店にやって来る。
きいちゃんの責任の元、護衛をつけてもらった方がいいかもしれない。
いや、それより先にヤツの「災いの元」を塞ぐことが先決である。一旦閉じたところでどんなことがあってもこじ開けると思うけど。

なにはともあれ早速きいちゃんに苦情の電話をする次第である。
あれこれ言い訳を並び立てて、さらに私のイライラのみを増幅させるだけであることは想像に容易いが、これが小さなキッカケとなりおしゃべりの合間に「そういえば」とこの出来事が彼の脳裏をかすめることがあれば、そこに「彼にとってのみ」の何らかの障害が発生するはずである。
確率は極めてわずかであるが、今はそれに望みを託すのみ。