そっち!??

タイの大洪水が大変な惨事になっている。

ある番組の司会者が、タイは日本企業の進出が多いだけではなく、「日本人のタイへの観光旅行者数は年間99万人もいるんですねぇ」と、旅行者の多さを説明した。

「この数字は、ハワイの旅行者数が年間120万人という数字からもわかるように・・・「えっ?!!! ハワイってそんなに日本人行ってるのっ?!!! スゴイじゃんっっ!!!」

母さん、突っ込む声が司会者の声にかぶっちゃってよく聞こえないよ。それに、驚くところはハワイのくだりじゃないしね。番組の意図、わかってる?

そんな指摘を口に出す余地も許さぬほど、いつまでもいつまでも「ハワイってそんなに日本人旅行者いるのねぇ。すっごいわぁ〜〜〜」と、感心しきりの母なのであった。

それも違う

二歳の姪っ子は上手にお電話トークができない。

さらに気分屋なので、機嫌の良いタイミングで電話を掛けたときにしか電話口には出ないものだから、父親(姪っ子からしたらお祖父ちゃん)なんかは最近では姪っ子の名前を忘れつつある。

そこで妹(姪っ子からしたら叔母さん)が、珍しく電話に出た二歳の姪っ子に「●●ちゃんがあんまりお電話に出てくれないと、ジイジもバアバも●●ちゃんのお名前忘れちゃうよ」と、軽い脅しをかけたところ、この姪っ子はこう言い放った。



「やったぁ〜〜〜!!!」


それって喜ばしいことなのか???
理解に苦しむリアクションに思わず失笑。

大好きな「かあちゃん」と一緒に、公園へ遊びに行った姪っ子。二歳の姪っ子はまだ字が読めない。

公園の遊具に書かれたイタズラ書きを見た姪っ子は、そこに駆け寄り無邪気にこう言ったのだという。

「ほらぁ〜、見て、かあちゃ〜ん!! ここに、●●●●●(姪っ子のフルネーム)って書いてあるよぉ〜〜!!」

わぁ〜い!!
わぁ〜い!!
ってな感じでね。大ハシャギ。

どれどれ?と、娘が指差すその文字を見てみると、そこにあったのは・・・。



『死ね』



遊具(に限らずだけど)への害あるラクガキ厳禁。

ワースト1

とっくに年は明けてしまった。

なんとか二桁になる前に、なんとかせねばならぬと思っていたものが、つい先ほど、ようやく完了。でも、出すのは結局明日になっちゃうんだけどね。

今まで「早くても」年内ギリギリの31日、もしくは「どんなに遅れたとしても」三が日中には投函していた年賀状(若干それより遅れたこともあり)。

2011年のご挨拶は、「なにいまごろ?」と突っ込むことさえ無視されるようなタイミングになってしまった。

さらに、一部の年賀状はちょっと前に送ったはいいのだが、その中に「あて先がさだかではないので手渡し」を予定していた「住所欄空白」の年賀状を混ぜてしまい、2011年のダメさ加減を物語っているようで恐ろしい。

もっとしっかりしろ!!私・・・。

無駄に技術を駆使!!ではないらしい

なんか知らないうちに「本家」のブログでツイッター機能がくっついてた。

それに加え、アップされている写真がステキに加工されているものが多くなっていてビックリしている。すごい技術だ。各方面でド素人な私はここでも感心するばかりである。

特に最新記事の「Nepal式ディスプレイ」の画像はスゴイ!!!

本文とマッチした画像加工がなされているかは別として(そこが一番肝心なんだが)、我々が受けた「なんなのこれ?」といったインパクトは、十分共有していただけると思う。たぶん。

遠路はるばる

田舎、カントリーサイド、人里離れた山奥、へんぴな土地、辺境、秘境。

最後のふたつは他の関連事項から少しズレているかもしれない。

何が言いたいのかというと、ここネパールだけに限らずということを承知の上で書くが「自分には想像できないような生活をしている人が今の時代もいるのだな」と、久しぶりに強く感じたということである。

「故郷から妹がやってくる」と、カトマンズの友人がいうので、ほとんど興味のなかった私は「ふぅ〜ん」と素っ気なく答えると「生まれて初めて都会に出てくるんだよ」と、不安そうな、興奮したような感じで言う。

あまりにも同じことを繰り返し言うものだから、「小さい子供が田舎から一人で出てくるわけじゃないんでしょ? そんなに心配するようなことじゃないよ」と話を中断させようとすると、「車も走ってないようなところから出てくるんだぞ!!」と、逆に強い口調で叱られてしまった。

特に用もないけれど、兄に会いたいがために、4日も5日もかけて田舎から出てくるのだという。うち二日は山道を歩くという過酷な日々が待ち受けているにも関わらず、だ。

「すごい遠いんだねぇ〜」と、またもや人事のように言うと、「これがどれだけすごいことだかおまえにはわかっていない」と、真剣な表情で言い、そこは最近ようやく電気の通ったようなところであり、あとなんだかんだとある意味「田舎自慢」のようにも聞こえることを言っていたが、ほとんどスルーで流していた私はそのほとんどを覚えていない。

その意味を理解することになったのが、「妹は何も知らないからここでの生活のことを教えてやってくれ」と、面倒なことを頼まれたときである。

自分は仕事があるから面倒を見ることができないから、これから妹が自分と生活することになるアパートのあれこれを教えてやって欲しいというのである。

教えるもなにもアパートの場所まで一緒について行ってあげればいいの? だったら自分が戻るときに一緒に行けばいいじゃない。

言葉の意味がわからずに軽く眉間にシワを寄せると「そうじゃなくて、ドアの開け方とか電気のつけ方とか、そういうことだよ」と、ますます不可解なことを言う。

ドアの開け方に電気のつけ方?

「そんなことできるでしょ?!」「できない」「できるって!!」「できないんだよ!!」

・・・・・・。

半ば信じられない思いで妹さんをアパートの部屋へ連れて行き、蛇口のひねり方、お湯と水の出口の違い、シャワーと水道の使い方、テレビの電源の入れ方、チャンネルの使い方などを、いちいち馬鹿の一つ覚えのように「使い方わかる?」と確認し、繰り返し練習しては覚えこませるということを重ねた。

「本当になにも知らないし、初めてなのだな」

私が説明すること、やってみせることにひとつひとつ感心し、感嘆するのである。

ドアノブを回転させてドアを開けるということさえ手間どうありさまで、これでは複雑なカトマンズの道のりを覚えるなど不可能なのではないかと思ったほどである。

実際、アパートからタメル地区までは5分もかからない距離にあるというのに、何度往復してもいまだ道のりを覚えるに至っておらず、過保護な兄や親切過ぎる周囲の人と違い「もう子供じゃないんだし、自分の意思で出てきたからにはいつまでも人を頼るべきじゃない」という方針にある私を苛立たせてもいる。

みんな働いてるんだからさ。しょっちゅう誰かが一緒にいてあげられるわけじゃないんだし、何かあったときに自分の寝泊りする場所すらわからないようじゃ自分自身が困るでしょう。

そう思うのだが、一週間近く経過した今ですら、「誰かから離れて10メートル先の場所に移動する」ことすらしないスタイルを崩していない。「心配に及ばず」ということか? それにしてもこれはある意味すごいことである。

そんなものだから、ドアを開けるということさえ、近くの人が率先してやろうとするので「待って。これは私が教えたばかりだから、彼女は自分で出来ます」「本当に?」「何度も練習しました。鍵もかけられます」「じゃ、やってみて」と、練習の成果を披露する機会を作ってみたのだが、望みもしない想像を超えたことは、ここでも起こったのである。

ドアノブを下に押し下げたところまではよかったが、頑丈な鉄ノブをそのまま引き抜いてしまったのである。

!!!!!!

それ、抜けるもんなんだ・・・・・・。

唖然としている横で、妹は甲高い声で大笑いし、そこに立ち会ったネパリーは「教えた人が良かったんだね」と嫌味を言い、気の短い私を十分イラ立たせたというのに、慌ててなんとかノブを直そうとする私に「これ、まだちゃんと直ってないよ」とグラグラ揺れるドアノブを指し、妹が言った。

「壊したおまえが言うな!!」

あくまで心の中でのみそう叫び、到底自分の手には負えない次元にあるこの妹には、極力係わらないようにしようと、そう思ったのであった。

見ぃ〜つけたぁ〜

今さっき、トイレに入ってきたのだが、なんだろうな?

またもや遭遇してしまったのである。「アレ」に。

ヘンな癖がついてしまって、ネパールで不特定多数の人が利用するような出先の「トイレ」を利用する際には、便器の中を確認するようになってしまった。

ほとんどがいわゆる「和式トイレ」のようなスタイルで、使用後は、便器のすぐ近くに設置してある水道で、手桶を使って流すのだが、自分の後始末をきっちりしないだらしのない輩が多いのである。

尿の方だと判別しづらい面があるのだが、いわゆる「大便」の方であると、もうそれは、一目瞭然にウ●チ以外のナニモノでもないという顔で居座っており、非常に不愉快な思いで人様の不始末を後片付けするはめになる。

この間などレストランで、ちょっとした顔見知りのネパリー男性の後に、入れ違いでトイレに入ったのだが、まんまとウ●チが置き去りにされており、そのような「公共の場でのマナー」がまるでなっていない男性と向かい合って、うっとりした表情で食事をしているヨーロピアンの女性に「呑気に頬を赤らめている場合ではありません。その男はウ●チも流さないような男ですよ。恐らく手も洗っていないどころかお尻すら洗い流していないことでしょう」と、お節介な忠告をしてやりたくなった。

日本の小中学生のように「ウ●コ! ウ●コ!」とアホのように騒ぎ立てる必要はない不可欠な生理現象ではあるのだが、そんな堂々と公開すべきでないものを残して、平気でトイレから出てくる感覚が理解できん。理解できずとも、ある程度鈍感になる必要はあるのだろうな。ちょっとした忘れ物を見つけたくらいに。