遠路はるばる

田舎、カントリーサイド、人里離れた山奥、へんぴな土地、辺境、秘境。

最後のふたつは他の関連事項から少しズレているかもしれない。

何が言いたいのかというと、ここネパールだけに限らずということを承知の上で書くが「自分には想像できないような生活をしている人が今の時代もいるのだな」と、久しぶりに強く感じたということである。

「故郷から妹がやってくる」と、カトマンズの友人がいうので、ほとんど興味のなかった私は「ふぅ〜ん」と素っ気なく答えると「生まれて初めて都会に出てくるんだよ」と、不安そうな、興奮したような感じで言う。

あまりにも同じことを繰り返し言うものだから、「小さい子供が田舎から一人で出てくるわけじゃないんでしょ? そんなに心配するようなことじゃないよ」と話を中断させようとすると、「車も走ってないようなところから出てくるんだぞ!!」と、逆に強い口調で叱られてしまった。

特に用もないけれど、兄に会いたいがために、4日も5日もかけて田舎から出てくるのだという。うち二日は山道を歩くという過酷な日々が待ち受けているにも関わらず、だ。

「すごい遠いんだねぇ〜」と、またもや人事のように言うと、「これがどれだけすごいことだかおまえにはわかっていない」と、真剣な表情で言い、そこは最近ようやく電気の通ったようなところであり、あとなんだかんだとある意味「田舎自慢」のようにも聞こえることを言っていたが、ほとんどスルーで流していた私はそのほとんどを覚えていない。

その意味を理解することになったのが、「妹は何も知らないからここでの生活のことを教えてやってくれ」と、面倒なことを頼まれたときである。

自分は仕事があるから面倒を見ることができないから、これから妹が自分と生活することになるアパートのあれこれを教えてやって欲しいというのである。

教えるもなにもアパートの場所まで一緒について行ってあげればいいの? だったら自分が戻るときに一緒に行けばいいじゃない。

言葉の意味がわからずに軽く眉間にシワを寄せると「そうじゃなくて、ドアの開け方とか電気のつけ方とか、そういうことだよ」と、ますます不可解なことを言う。

ドアの開け方に電気のつけ方?

「そんなことできるでしょ?!」「できない」「できるって!!」「できないんだよ!!」

・・・・・・。

半ば信じられない思いで妹さんをアパートの部屋へ連れて行き、蛇口のひねり方、お湯と水の出口の違い、シャワーと水道の使い方、テレビの電源の入れ方、チャンネルの使い方などを、いちいち馬鹿の一つ覚えのように「使い方わかる?」と確認し、繰り返し練習しては覚えこませるということを重ねた。

「本当になにも知らないし、初めてなのだな」

私が説明すること、やってみせることにひとつひとつ感心し、感嘆するのである。

ドアノブを回転させてドアを開けるということさえ手間どうありさまで、これでは複雑なカトマンズの道のりを覚えるなど不可能なのではないかと思ったほどである。

実際、アパートからタメル地区までは5分もかからない距離にあるというのに、何度往復してもいまだ道のりを覚えるに至っておらず、過保護な兄や親切過ぎる周囲の人と違い「もう子供じゃないんだし、自分の意思で出てきたからにはいつまでも人を頼るべきじゃない」という方針にある私を苛立たせてもいる。

みんな働いてるんだからさ。しょっちゅう誰かが一緒にいてあげられるわけじゃないんだし、何かあったときに自分の寝泊りする場所すらわからないようじゃ自分自身が困るでしょう。

そう思うのだが、一週間近く経過した今ですら、「誰かから離れて10メートル先の場所に移動する」ことすらしないスタイルを崩していない。「心配に及ばず」ということか? それにしてもこれはある意味すごいことである。

そんなものだから、ドアを開けるということさえ、近くの人が率先してやろうとするので「待って。これは私が教えたばかりだから、彼女は自分で出来ます」「本当に?」「何度も練習しました。鍵もかけられます」「じゃ、やってみて」と、練習の成果を披露する機会を作ってみたのだが、望みもしない想像を超えたことは、ここでも起こったのである。

ドアノブを下に押し下げたところまではよかったが、頑丈な鉄ノブをそのまま引き抜いてしまったのである。

!!!!!!

それ、抜けるもんなんだ・・・・・・。

唖然としている横で、妹は甲高い声で大笑いし、そこに立ち会ったネパリーは「教えた人が良かったんだね」と嫌味を言い、気の短い私を十分イラ立たせたというのに、慌ててなんとかノブを直そうとする私に「これ、まだちゃんと直ってないよ」とグラグラ揺れるドアノブを指し、妹が言った。

「壊したおまえが言うな!!」

あくまで心の中でのみそう叫び、到底自分の手には負えない次元にあるこの妹には、極力係わらないようにしようと、そう思ったのであった。