「鍵を持つ」という自覚

子供の頃から鍵を持たせない家庭だった。

母が専業主婦で、学校から帰る頃には「(母が)たいてい家にいる」からで、一時期母がパートに出始めた頃ですら、学校から帰る頃には「(母は)たいてい戻っている」からというのがその理由だ。

ただし、もちろん例外もあり、そんなときには家に入ることができずに、30分以上、時には一時間近く、家の前で待ちぼうけをしなければいけないことがあった。

それに対し、当然のごとく「鍵を持たせろ」と主張したことはあったが、家の鍵を持つ権限があったのは、父と母、ただその二人だけであった。

そうしてやがて、私が働き始めると、深夜帰宅や終電だので、家族の時間がまったく噛み合わなくなり、それがキッカケだったかどうだか記憶がさだかではないが、とにかく私は憧れの「鍵」を持つことになった。

しかし、私の「鍵っ子ライフ」は、鍵を渡された時間よりも、鍵を渡されなかった時間の方が、圧倒的に長かった。

それもこれも、だらしのない性格が災いしたためだ。

私は大事な家の鍵を何度か紛失してしまい、そのつど「大変なことをしてしまった」と反省をするのだが、また新しい鍵を手に入れると、今度はその大事な気持ちを失くしてしまう。

母はそんな私をこっぴどく叱っては、新しい鍵を作ってくれたのだが、ある時「いい? これが最後の鍵だからね。もうスペアは作らないよ」と、念を押した。

というのも、空き巣対策のために作り直した錠前の鍵が、この辺では作ることができない特別なものだったからである。

私は「わかってるって」と軽い返事をし、そしてそのわずか数年後には、その貴重な鍵を壊してしまった。紛失ではなく、壊してしまったのである。

母は呆れた顔をして、そして心底困った表情を浮かべた。

「仕方ないわね。作ってもらえるところを探すから、それまで鍵なしで我慢しなさい」

母はそう言ったけれど、私は「鍵、いらないよ」と答えた。

私はいつでも自由気ままだった。

いつも行き先だって告げずに家を出たし、戻ってくるのだって深夜を回らない限りは家に連絡することもなかった。

パスポートを持って行くときですら、今度いつ、家に帰るのか伝えないことも少なくなかった。

勝手な私はだがしかし、いつだって心配することなどなかった。

鍵を持たない自分の置かれた立場を、不安に思うことなどなかったのである。

どこまでも身勝手な私は「家の扉は鍵ではなくて、家族の誰かが開けてくれるもの」と、そう思っていたからである。

私は幸せな子供で、困った大人になった。

そうして驚くだろうか?

私は今に至るまで自宅の鍵を持っていない。

他の鍵なら持っているのに、この先も、いまだ暮らし続ける実家の鍵だけは持たないであろうと、そう確信している。

と思っていたら、母から「今日は何時ごろ帰ってくるかわからないから、出掛けるときにはこの鍵を使いなさい」と、嫁いだ妹の鍵を渡された。

そして渡す直前になって母は「あ! でもあんたはすぐ失くしちゃうから、鍵に名前書いとくわ」と言って、「鍵に名前書くアホがいるかっ!!」と父に制止されたにも関わらず、油性のペンでしっかり私の名前を書いた。引き返せない「直書き」である。

そしていつまでも、母にとって子供である私の「臨時の鍵」には、直書きした名前と共に、可愛いクマのシールが貼られていた。