子供談義

Asian Zakka Moti」の現地スタッフはバリニーズの二名で構成されている。
しかしながら、常時お店に常駐しているのは、そのうち一名の女性スタッフのみである。
そのため週に一度はお店をしっかり閉めることとなる。

もう一名はマネージャーの役割を担ってもらっている男性スタッフで、本職の合間を見てお店に足を向けてもらっている。
接客ではなく、スタッフのフォローと金銭管理、トラブル対応などが主たる仕事である。

二人の共通とするところ。
既婚者で2歳前後の子持ちであるということ。
私とは疎遠な世界である。
しかし図々しいことにも、最近私は彼らと「子持ち」という点で新たな共通点を見出したと勝手に思い込んでいる。

そしてやたらと「子供」の話を持ち出し、どちらかというと一人で大いに盛り上がっているといった、他から見たら「見るに見かねる」状況に陥っていることも、たぶんあると思われる。

この日もそうであった。

先月一歳になったばかりのマネージャーの娘と、ほぼ半年しか違わない姪っ子は「なにかと共通点が多いであろう」と思われ、買出しへ行く途中の車中で、私は好奇心旺盛に質問を投げ掛けたのだった。

「もう立つことは出来る?」「体が大きくていまだに立つことも出来ない」、「まだオムツはしてる?」「こっちの子供はだいたい二週間くらいでやめる。あとはパンツにコットンのシートみたいなのを付けてるだけ」、「最初に発した言葉はなに?」「ママ」。

それまで「そうなんだぁ」と感心しきりで話に聞き入っていた私だが、「人見知りはどれくらいの時期から始まった?」「六ヶ月くらい。それは今も続いてる。他の人が抱っこしようとすると大泣きする」という、個人差はあるであろうが大抵の赤ちゃんが直面する現状を聞かされたときには、大いに失望してしまった。
なぜなら、姪っ子も例外なく「どうやら人見知りが始まったみたい」という報告を受けていたからだ。

今度会うときは間違いなく私のことを「顔見知り該当者」として識別するのであろう。

悲鳴をあげながらも果敢にウンチ処理に挑んだことも、大泣きして止まらない体重5kgに達しようとしていた姪っ子を一時間以上も抱っこし続けあやしたことも、なかなか寝付かないので抱きかかえたまま共に浅い夢の中を彷徨ったことも忘れて―――。

そう思うと、たまらなく悲しかった。

姪っ子が数日間、お父さんの実家へ里帰りした帰路、空港まで迎えに行った私の顔を見てにっこり笑い、マシュマロみたいな手を伸ばして私の頬に触れたあのときのことを思うと、それはまさに「天国から地獄」へまっさかさまといった心境であった。

がっくりし過ぎて次に投げ掛ける質問をしばし忘れたほどである。
マネージャーは「やっと静かになってくれた」と、運転に集中できてホッとしていたかもしれないが、私は「姪っ子の人見知りをどのように解消するべきか」などとロクデモないことを思案していた。

マネージャーは他の共働きの夫婦と同様に、娘が生後三ヶ月になる頃には、すでに自分の実家の両親に彼女を預けていた。
マネージャーの生活拠点から愛娘の距離までは車で片道一時間半である。
「そのため」だけとはいい難いが、マネージャーが可愛い盛りにある娘に会いに行けるのは週に一度だと言う。

驚きだ。
いくら時間的に不規則にあるホテル勤務であるといえど、どうしたらそれほど子供に対して落ち着いた姿勢でいられるのだろうか?
それとも、これほどまでに姪っ子に対して「Crazy for You」になっている私の方がオカシイのか?

どちらが正常で、そうではないと、区分するべきことではないとわかっていても、そうして、私とマネージャーの「根本的な違い」がどこにあるのかぼんやりと理解してはいても、それが不思議なことに変わりはなかった。

だが確かにマネージャーはこのとき、ちょっとガッカリした表情を見せたのだ。
「母親が帰ろうとすると大暴れをして泣くのに、僕が帰ろうとしても“もう行っていいよ”って顔をするだけなんだ」と―――。

子供が親からの愛情を必要としているように、その親もまた、子供からの愛を欲している。
どんなカタチであれ、それが機能していれば大抵のことは乗り越えられるのかもしれない。
それは実際のところ私にはわからない未知の世界のことであるのだけれど―――。