幸福な出会い

『今あなたのお店の雨漏りを調べています』

携帯に送られてきたメールで目を覚ました。
バリニーズの友人からである。
時刻は八時を少し回ったところ。
私はと言えば、朝食を済ませていないどころか洗顔さえ終わっていない。

「30分くらいでお店に向かうから申し訳ないけど待っていて」と電話で告げ、大慌てで支度を始めた。約束あってのことではなく突然のことではあるが、善意で雨漏りチェックをしてくれている友人を一人にさせておくわけにはいかない。
パンと小皿に盛られたフルーツと紅茶。
シンプルな朝食にいつもはダラダラと30分以上かける私だが、苦しくて食欲を失うくらいそれらを早急に胃袋へと押しやった。
寝汗を流すために軽くシャワーを浴びるつもりだったがそれもパス。
炎天下の中、日焼け止めも塗らずに急いで外へと飛び出した。

パンと小皿に盛られたフルーツと紅茶。シンプルな朝食にいつもはダラダラと30分以上かける私だが、苦しくて食欲を失うくらいそれらを早急に胃袋へと押しやった。寝汗を流すために軽くシャワーを浴びるつもりだったがそれもパス。炎天下の中、日焼け止めも塗らずに急いで外へと飛び出した。

すでに一時間もお店の外から屋根の状態をチェックしていたという彼は、お店のスタッフであるワヤンの義理の兄にあたる人。
彼とは4年くらいの付き合いになるだろうか。
ワヤンをスタッフにと紹介してくれたのも彼だった。

自分はその道のプロではないので正確なことは言えないが、雨漏りの原因がどこにあるのかなんとなくわかった。実際に修理をしてくれる人も目星をつけたので、早速明日にでも作業に取り掛かれるように手配する。

非常に心強い言葉ではあるが、これまですでに3回も修繕作業を行っているにもかかわらず解決されない「雨漏り」なので、私の中の雨漏りに対する不安はこの時点で解消されるような問題ではなかった。

それでも彼の行動力には心から感謝し、けれど私は疲れているであろう彼を店内に招き入れ、あれもこれもとお店に関するエトセトラを彼に相談した。
お互いせっかちな部分のある二人の主張は6割ほどが噛み合わずに宙を行き交い、なんとか交じわうことができた会話が「ガムランボール」の件であった。

ガムランボールを作っている友達がいるから今から会いに行こう」

そこは先日きいちゃんに連れられた銀細工で有名なチュルクの村から少し外れた場所にあった。
細い道をゆっくり進んで住宅地に入り込む。
バイクはごくありふれた民家の前でエンジンを止めた。
とてもひっそりと佇んでいて商売をしている場所のようには思えない。
まさにそれは「隠れ家」と呼ぶにふさわしいお店だった。

私と彼は、やがて自宅敷地内から現れた友達に小さな離れの部屋へと案内された。
正直私はそれほど期待をしていなかった。
この家からはあまりにも「商売」の空気を感じないのだ。
そこには静かな家庭の日常という時間しか流れておらず、やや戸惑いながら部屋に足を踏み入れた私は、だがしかし、ここへと導いてくれた彼にすぐに感謝することとなった。

室内はとても狭く、大人5人も入ってしまえば「窮屈」と感じるものであり、だからやはり、置いてある品数は今まで見てきた規模の大きな店に比べたら比較にならない数ではあった。

しかしそんなのは大したことではないのだ。
円形のガムランボールの表面に施された美しい模様。
どれもこれも可憐で華やかだった。
なにより、今まで見てきたものとは比べものにならないほど丁寧な細工だった。
ひとつひとつの細かい描写も線や点がつぶれることなく描かれている。
職人の仕事だった。

ここに来る前にこの友人とかっちり意見が噛み合った点があった。

それは大半の人が「商品を見たときのインスピレーション」→『価格重視で判断』→「購入」であり、『クオリティー重視で判断』に分かれる人は案外少ないということ。

「だから、価格を第一優先で購入する人を優先するか、それともあくまでクオリティーや、店内に商品が陳列されるまでの過程を大事にするか、どちらを選ぶかは君次第だよ」と、そう彼は続けた。

質の良し悪しどちらを優先して購入するかは自由であるし、どちらを優先するから「良い」とか「悪い」とかなどはない。
質の前に価格重視なものを選んでお店に置くことも自由であるし、どんな商売であっても「お客さまのニーズ」をそれぞれの店主が考えた上で存在している。
それが悪質で、人を不幸に陥れるような悪意に満ちたものでなければ、どんなカタチのものが存在しても自由であると私は思っている。

家の敷地内の一角を店舗として使用しているこのお店は、家族の手作業でガムランボールを制作し、販売している「家族経営」で、この小さな部屋と同様に、やはりその経営規模は大きなものではない。

だが、熟練した技術を持つ父親を筆頭に、確かな職人の手によって作られたこのお店のガムランボールは、どれもこれも誇りに満ちた顔をしている。

格安で提供できる価格のものではない。
実際、提示された価格は良心的ではあったもののスーパーの片隅で販売されているようなものとは比較にならない。
当然だ。それに十分見合う価値がこれらのガムランボールにはあるのだから。

そして私は、彼らの生み出すガムランボールをお店に置かせてもらいたいと思った。
持ち合わせがあまりなかったので、とてもとてもじっくりとそれらを厳選して、「今購入でき得るだけのもの」を手に入れた。
本当は、どれもこれもいとめなく購入したかったのだけれど―――。

これらのステキなガムランボールを、私はどのタイミングでお店に並べようかと思案している。
もう少し、部屋のクローゼットにこっそり忍ばせて、ひとり眺め見る楽しみを味わいたいなどと身勝手なことを思っている。

でも本当は、たくさんの人に手に取って貰えるのが、職人にとっても、ガムランボールにとっても、このお店にとっても、そして新たな主になるであろう誰かのためにも、一番良いということも、ちゃんとわかっているんだ。