主役不在の雛祭り

本日「雛祭り」である。

ネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」によると、雛祭りとは「女の子のすこやかな成長を祈る年中行事」とのこと。

今年、父と母は、初孫となる姪っ子のため「雛人形」を購入した。数日間、同じ店に通いつめた末、散々迷っている間にお目当ての雛人形が売れてしまい、店員さんに「どうしても同じものを」と食い下がった結果、まったく同じものとはいかなかったものの「もっと良い顔をした雛人形」を特別に取り寄せてもらったのだという。

孫への情愛には敵わない。

出産を控えて娘が実家に戻って来たのは、お腹が少し目立ちはじめた五ヶ月の頃。

それからずっと、新米ママとなる娘を支え続けた。

時には長い道のりを一緒に散歩しながらお腹の赤ちゃんに話しかけてみたり、小さな命の誕生にわくわくしながらベビー服やオムツを買い集めたり。

姪っ子が「うんぎゃぁ〜」と声を上げたあとも、赤ん坊の母親と同様、父と母は気を抜けなかった。

今こそ、まんまる顔でぷっくぷくで、握力ももんのすごく強い姪っ子だが、一ヶ月以上も入院を余儀なくされたからだ。

喜びも、苦しみも、十分分かち合った。

だけど。

「嫁いだ娘」は雛祭りの三日前、小さな娘と共に旦那の実家へ向って、今日になってようやく「電話の一本」もよこしてきたに過ぎない。

「今日はこっちの親族がたくさん集まって雛祭りパーティーなんだ」と、弾んだ声で。

孫のすこやかな成長を願う気持ちに「見返りや期待」などは一切ない。

どこで何をして過ごしていようが、小さなあの子が元気で笑っていればいいのである。

でもさ。

なんだか報われないよねって、そう思わずにはいられないよ。「赤飯炊く」って張り切ってたのに、「焼肉弁当」に変更だし、さ。

まぁ、私のそんな感傷的な心中なんぞ、ジイジとバアバの寛大な愛情からしてみたら「はた迷惑で筋違い」なものに過ぎないんだろうけど---。

ふくよかで穏やかな表情をした雛人形は、人間のわずらわしい感情などよそに、明日、役目を終えて永い眠りにつく。