不誠実

久々に「よろしくない」ものを食べた。

こういうことを書くのもどうかと思うが、今思い出してもやはりあのデリバリーは「ないよな」というようなシロモノであった。

今の世の中というのは、ある意味ものぐさとも取れるほど便利に出来ていて、ネット上でメニューを検索し、お目当てのものをネットで注文して食卓まで運んでもらうことができる。

その一連の流れの中で「人」との接点はただひとつ。商品の受け取りと、料金の支払い時のみである。


さて。この日は「寿司」だの「弁当」だのと散々迷った挙句、結局はデリバリーの王道ともいえるピ●を注文することになった。

いつものように、CMでもガンガンに流れている有名どころピ●を選ぶこともできた。だが、毎度おなじみの「川島教授」から頂いたあるアドバイスに従い、まだあまり有名ではない新参者ピ●屋を試すことにした。

「もしあなたの毎日のランチが外食であるなら、たまにはレストランの新規開拓をしてみましょう」

そうすると脳を刺激する効果があるだのナンだのと言っていたような気がする。上記のセリフもかなり怪しい記憶の中だが、私にとってはその効果のほどもあやふやである。

このように、私は川島教授のマメ知識を実践する気があったわけではなく、いかにもウマそうなメニュー写真のビジュアルと、最近自宅の折り込み広告にも入っていた店という好奇心から選んだに過ぎなかった。

問題のピ●は、画面上での注文が終了してから、驚いたことにわずか15分で届けられた。

もう、これにはかなり驚きである。感心するより先に「一体なにを持ってきちゃったの?」と不審に思ってしまったほど。

はたして、確かにそれはピ●であった。

のだが、写真写りが良すぎたのだろうか? 実物のそれはあまりにも貧弱すぎて我が目を疑った。メニューの写真と実物に差異があることは珍しくないことだが、これはあんまりである。

JAROを呼べ!」

思わずそう叫びたかった。

しかし、料理というのは見た目も大事だが、味も肝心である。どう見ても美味しそうには見えないが、味わってみないことにはわからないではないか。

チーズがメインのピ●を選んで注文したというのに、1mmものびないチーズに嫌な予感を感じながらピ●を取り分け、問題のそれを口に運ぶ。

「これなら冷凍ピ●の方がよっぽど美味しい」

他社のデリバリーピ●に比べたらお手軽な価格ではあったが、それにも見合わないほどのレベルであると、私はそう判断した。

味もさることながら、私がなにより怒りを感じたのは店の名前である。

これ程度のものしか出せないのに、この会社が命名した店名は「思わずそそられてしまう」ような魅力を十分に持っていた。明確で、「美味しいピ●」をたやすく想像してしまうような名前なのだ。

そんなことまで指摘する資格など私にはまったくないのだが、その名前と、そして実物とはあまりにも違いすぎるメニュー写真は、消費者を誤解させるには十分の要素を持っていた。

その日だけ、たまたま調理人が手を抜いただけのことなのだろうか?

肝心なチーズがのびなかったのは、配達時の外の寒さのせいなのだろうか?

どちらにしろ、私はここのピ●のリピーターにはならない。家に帰ったら、母に「取って置いて」と頼んでおいたあの広告は、即刻捨てようと心に決めた。