年始の生存確認

「生きてる?」「今どこにいるの?」「無事?!」

本来ならば切羽詰った状況の中で使われるようなこれらの問い掛けは、ここ数年でよく見掛けられるようになった私宛に送られた年賀状でのコメントである。

確かにここ数年、一度日本から出国すると半年は戻って来ないような生活を送っていた。去年など日本で生活した期間はわずか三ヶ月ほどである。

私にとっては、どの国でどれだけの時間を過ごすかなど、特別に意識することではないのだが、祖国でしっかり地に足つけて生活している人からしてみると、私の「行ったり来たり生活」は、ちょっと珍しいことのように映るのだろう。

なかには、タイやネパール、バリなどで、暴動や災害、テロといったニュースをキャッチしては、私の安否を気遣うメールや電話をしてくれる人などもいて、そういう心遣いを有り難くも思い、また、自分の筆不精で周囲に心配を掛けることに多少の後ろめたさを感じてもいた。

とてもその埋め合わせにはならないが、せめて「年始のご挨拶」である年賀状は、自身で撮影した写真でデザインを施し、簡潔な文面ではあるが、報告と現状を綴るように作成している。

私にとってそういった存在である年賀状はまた、人から受け取るそれも、同じような意味合いを含んだものが増えてきている。

結婚をして名字が変わったことを告げるもの、子供の成長を語るもの、新たな生命の誕生を喜ぶもの、新境地にある期待と不安を綴ったもの、現状維持に込める静かなる意気込みをみせるもの、旅先で感じた思いを記したもの。

「年始のご挨拶」というよりは、年に一度送られてくる「ミニ報告書」という言葉がぴったりなそれらの年賀状を楽しみながら、私もまた「どこの空の下にあっても、ひとまず元気にやってます」と、どこかふわふわフラフラとした、相変わらずな自分の「今」を、うんとウンと凝縮して、一枚のハガキに綴り続ける。