トンボからの贈り物

朝食を食べていたら、トンボが私の手の甲でちょこんと羽を休めた。
以前、宿のオーナーが「トンボが体の一部に止まるなんて滅多にないからラッキーなことがあるよ」と、あくまでも持論であるが、そんなことを言っていたのを思い出す。
「これはなにかある!?」
最近ツイていない私は、そう思い込むようにして、張り切って「朝一」の買い出しに出発した。
本日の目的地はボナ。
先週売れ行きが良くて、在庫わずか一点となってしまったアタのバッグを購入しに勇んで出掛けたのだが、もう、とにかくサッパリなのである。
アタで出来たバッグは、制作に手間がかかるうえに技術を要するものなので、その単価も当然のごとく大きい。
クオリティーの高いものにある程度のお金を出すことは惜しまない。
満足できる逸品を見つけ出すため、一点一点、嫌な表現をすると「粗探し」をするかのごとく、細部に至るまで商品の出来を確かめる。
そしてその結果、最終的に出るのは深いため息ばかりである。
「もう少し気を引き締めて制作してくれていたら……」
どれもこれも、微妙に歪んでバランスが悪かったり、ささくれ立ちがひどかったり、編みが甘くて隙間ができていたり、そもそもアタの素材自体が貧弱であったり、個人的なものとして納得して買うならいいが、お店に置くにはクビを傾げてしまうものばかり。
「わたしがこだわり過ぎているだけではないのだろうか?」
もう一度見直して見たらそんなに悪いものではないかもしれない。
しかし、たどりつく結論は同じ。
無収穫。
その後も数時間走り回ってみたものの、手ぶらでの帰還を余儀なくされる。
あぁ、疲れただけだった……。
虚しいため息ばかりが漏れる。
そんな私を待ち受けていたのは日本から送られてきた小包だった。
宛名は母の名前になっていた。
中には、手紙と新聞の切り抜き(どこの記事に注目すべきなのか謎な話題のものばかり)、そして心優しき妹からのある「贈り物」が入っていた。
そのあるものには「流行遅れの恭子お姉さまへ」とラベルが貼ってあった。
私はにんまり笑い、早速それをバッグに忍ばせ、疲れも忘れて店へと急いだ。
その日、店内には、重苦しいため息ではなく、日本からやってきた真新しいメロディーと共に、軽やかなハミングが流れた。

最近ではまれに見る快晴なり(滞在先バンガローの部屋より撮影)