方向音痴のプチ悲劇

とうとうやってしまった。

35分前の最寄駅到着である。

その目的地、駅より徒歩で4分。

なのに、こともあろうか、このありさまである―――。


「サイトで地図をアップしておりますが、口頭でもご説明しましょうか?」という先方の親切な申し出を、「いえ。地図があるなら結構です」と、キッパリ断った自分のミス判断を後悔したのは、地図を片手に歩けど歩けど、そうして時はすでに約束の時間の10分前を切ってしまった時であった。

思えば今までの経験上、地図なんかより口頭説明の方が、よっぽどスムーズに目的地へ辿り着けた私である。

地図との相性が悪いどころか、極度の方向音痴でもある私。

この場合、「念には念に」と、口頭での説明も頂いておくべきであったと、「時すでに遅し」な二度目の後悔をし始めていたとき、私は偶然に見つけて駆け込んだ、交番の中にいた。

頼りになるはずのお巡りさんは、私がサイトからプリントアウトした地図を、逆さまにしたり横にしてみたりして、「うーん、この道は一本向こうのだから、この前の道を左だなぁ・・・。あれ? 違うか? このビルがここだからぁ・・・」などと、非常に頼りない言葉を漏らすばかり。

私は道に迷った自分のことを棚にあげ、「一刻を争う事態なので今から一分以内に明確な道案内をお願いします」とは胸の内にしまっていたものの、危うく、「緊急事態なのでパトカーで送ってください」と、非常識なことを言い掛けそうになっていた。

「わかったぞ。あー、駅からまったく逆方向に来ちゃったんだねぇ」「ええっ?! 逆方向?!!」「こりゃ、駅の方向に戻らないとダメだなぁ」「今からっ?!」「この前の道をまっすぐ行って、ほら、ずーっと向こうに車が沢山走ってる道路があるでしょ? そこを左に曲がるんだわ」

その車の列は、ショックのあまりに大きい私の心理状態で見ると、まるで蜃気楼のように見えて、情けないほど気が遠くなってしまった。

だってすでに、私は30分以上も歩き続けていたのである。
その距離と時間がまったく無駄足だったどころか、その分をまた、私は取り返さなければいけないのである。

お巡りさんに泣きつきたい衝動をぎりぎりのところで押さえ込み、教えられた道を歩きながら、バッグに入っているはずの携帯電話を取り出そうとした。

が、ない。

マジっすか?

いまどき都心で公衆電話を探すのが、どれだけ大変だか知ってるんすか?

よし。さっきの交番に戻って電話を借りよう。

と、再び厄介になろうと戻りかけたとき、私は偶然にも見つけてしまったのだ。放置自転車に囲まれ、肩身の狭い思いでひっそり佇む公衆電話を。

ラッキィーーー!!!

私は今までにもさんざん道に迷ってきたが、それでもなんとか切り抜けてきたピンチを今回ばかりはクリアすることが出来ず、このケースでは初めての白旗を振ることになった。

「お約束の時間に伺うことができません。20分ほど遅れてしまいますが大丈夫でしょうか?」と―――。

この日私は昨日に引き続き、派遣会社の登録手続きのため、時間にかなりの余裕をもって家を出た。

実際、約束の時間の30分以上前に駅へ到着し、「これならば、どんなに方向音痴な私であっても余裕であろう」と、そう高を括っていた。

なんせ駅から徒歩4分の距離にあるという派遣会社である。

どんなに迷ったとしても制限時間が35分もあれば、必ず目的地に到着することができるであろうと楽観視していた。

しかし、そんな予測を遥かに超えてしまうほど、私の方向音痴は重度であったらしく、さらに不幸なことに、お巡りさんから丁寧に道順を教えてもらったその後も、往生際悪く道に迷い、そして私はいよいよ覚悟した。

今度掛ける電話は前代未聞のことになるかもしれない、と。

「どうにも御社に辿り着くことができませんので、また後日改めて伺います」

そんな不吉なセリフがぐるぐると、頭の中を駆け巡った。

そうして実際、その言葉を口にする結果になったのかというと、そうではない。そうではなかった。

そうではなかったとひとまず安堵し、この先もずっと付き合っていくことになるであろう方向音痴と、上手に付き合う方法を模索する。