わたしにできるエコロジー

忘れていた記憶が蘇った。

「NEWS ZERO 特別版〜Touch!ecoスペシャル〜」(動画配信中)

地球温暖化による影響で、わずか50年後には、国が海に呑み込まれ消滅してしまうと推測されるキルギス共和国

未だかつてない深刻な干ばつに見舞われ、湖そのものが消えてしまったオーストラリア。

日本では沖縄にしか生息していないジュゴン。「世界最北の地」に存在すると言われているこのジュゴンは、環境破壊によって絶滅の危機を迎えようとしていた。

すべてが「環境破壊の果て」の連鎖による惨状である。

地球の資源を片っ端から消費して、なに不自由しないコンビニエンスな生活をしている「先進国」と言われる我々のような国に限って、「環境問題」と提示されてもイマイチぴんとこないニブい暮らしを送っている。

そういう自分のオメデタイ感覚に、ごく稀にではあるが、幸いにもパンチをくらうことがある。

旅先でのことである。

カトマンズに住む友達の家に夕食へ招かれた。

食後、友達は食器を片付け始めたので、私は「手伝うよ」と声を掛けると「いいから座っていろ」と、私の申し出を頑なに断る。

そうはいっても、私もご馳走にばかりなってはいられないので「洗い物ををするのは得意だから私にやらせろ」と執拗に迫った。

すると友達は「使える水が限られているから手馴れた自分がやった方がいい」と言って、わずかな水を張った、たらいを部屋に運び入れた。

確かにそんな水量では、普段から蛇口の水を流しっぱなしで洗っているような私では、とてもじゃないが自分が使った皿一枚を洗うのが精一杯である。

驚いて「たったこれだけ? 水道の水はどうしたの?」と訊ねると、現在はたいへんな水不足のために蛇口からなど水は出ないと言う。

本来自由に水が放出される蛇口からは一滴の水も流れない。

では、彼らはどこから水を得ているのか?

一週間の内の数日、早朝5時〜6時の間、給水車が回ってくるのでその列に並ぶのだ。寝坊をしてしまうと数日分の生活用水を確保することが出来なくなるので必死である。

そう説明を受けて愕然とした。

ここは被災地ではないのである。

私はここでは生活できない。別に生活する予定などないんだけれど、そう強く感じたのを今でも鮮明に覚えている。

と同時に、ものすごい罪悪感に襲われた。

ホテルが確保している貯水タンクがあるとはいえ、そのような現地の人々の現状などまったく知らず、観光客である私は毎日、ホテルの水道やシャワー、トイレの水を、当然のごとく、湯水のごとく「あって当然。使ってなんぼ」という感覚で使用していたからだ。

なのに彼らは、これほどまでに不自由な生活を強いられている。

そのうえ、限られた水で調理をさせ、食器まで洗わせてしまった。

申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまい、私はそのとき心に誓った。

洗面所で顔を、シャワーで髪を、台所で食器を洗うとき、水やお湯を流しっぱなしにするのは、今後いっさい厳禁である。

今でもそれはきちんと実践されてはいるものの、そのキッカケとなった肝心な出来事を、私はすっかり忘れていて、そして、干ばつによる水不足に悩まされているオーストラリアを取材した櫻井翔による「これからはシャワーの時間を短くできるようにガンバル」という言葉によって、私はその日のことを思い出した。

そのときの驚きとショックを、私は思い出したのである。


去年訪れたネパールでは、エネルギー不足による強制「停電」が定期的に行われていた。

資源は限りなくあるものではなく、それを買える国だけが独占していいものではない。

明日とその先の地球の存続を考えず、人間が、ワガモノ顔で刹那的に食い尽くしていいものではない。

たとえいつかは途絶えてしまうものであっても、何かを消滅させてまでも無頓着に、そういうものだと傲慢に、生きていいほど愚かであってはならない。

わたしたち人間のものなど、実はこの地球上にひとつも存在しないのだから。